幸せは「自力」で得るもの | みどりゾーン☆アンクルファームの春夏秋冬

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果樹、野菜、園芸、そしてお庭、ただいま、週末菜園ライフで勉強中……



竜安寺で買った、龍の模様の入った香立て、
毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)の写真の前において、瞑想かな。

いい感じである、今年はこのスタイルだな、(^O^)/
宇宙の真理を全ての人に照らし、悟りに導く仏。
毘盧舎那仏。

イメージとしたら「色即是空」なのです。

これで毘盧舎那仏様に包まれている宇宙が私の頭の中で
浮かんでくれば、かなりいい感じです。

今年もここのブログで「般若心経を楽しむ_2020」というテーマを
作成いたしました。
2020年、オリンピックイヤー、って関係ないけど
今年も般若心経の理解を深めるべく、精進したいと
意気込んでおります。

4年目です、「人間やりなおし」で提唱されてる自明行との
境がなくなり、いい感じでブレンドしてきてるかなと、
私自身感じます。

もっともなところでしょう。
岩根先生も「人間やりなおし」と 「暗号は解読された般若心経」は
言葉は違っていても、内容はおなじ事です、といわれてます。

私も「毘盧舎那仏」やら「超越人格」「主体」「守護の神霊」やら、
「色」やら「潜在意識」 あるいは「魂」「霊」など
言葉の使い方に、迷いますが、なるたけ簡単な言葉で
理解してもらおうと、心がけております。

しかしながら、我々の住んでるこの世界とは次元の違う概念ですので、
正確な表記はありません、読んでいただくに、それだけの理解キャパを
お持ちいただいて、イメージしていただけたら、いいのかなと
思っております。
言ってしまえば全ては「空」の次元の方々でしょうかネ。

「暗号は解読された般若心経」の私の理解度といたしましてのリンク、
年代別テーマに書き貯めてあります。
般若心経を楽しむ_2017
般若心経を楽しむ_2018
般若心経を楽しむ_2019
「暗号は解読された般若心経」に興味を持たれた方でしたら、
理解の浅い頃より、私のたどった道もそれなりに手助けになるかと思います。
順番に読んでいただけたら、ほとんど理解していなかった私から
三年を経る時にまで、般若心経の世界に踏み込んでいく姿が見えます。

私自身でも振り返りたいと思い、書き貯め残したものです。

ところで仏教の宗派の中で「般若心経」を読まない宗派もあります。

浄土宗、浄土真宗では、よりどころとする経典は「浄土三部経」の
「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」です。
浄土宗系では、「南無阿弥陀仏」と唱えていれば極楽浄土に生まれることが
出来ると説かれます。
「阿弥陀如来の本願」というのがありまして、全ての人は阿弥陀如来が
救ってくださるというありがたい教えです。
この「念仏」さえ唱えていれば阿弥陀如来が救くってくれる、と教えます。
これって完璧な「他力」なわけです。

まあ、宗教ってのは他力の部分があってこそ、宗教なのですけど……ネ
しかし完璧な「他力」信仰を押しつけるってのも、私にはなじめません。

もう一つ「般若心経」を読まない宗派があります、
やはり「他力」信仰でしょうけど、こちらは「法華経」こそ最高の教えで
「南無妙法蓮華経」と唱えていれば救われるとする日蓮宗系です。
こちらは念仏とはいいません「題目」といいます。

こうした念仏を一生懸命となえれば救われる、とか
お題目を一生懸命となえていれば、幸せになれると教える宗教って
ホントに救われるのかいな? ホントに幸せになれるのかいな? と
私は感じてしまいます。

こうしたロジックでの宗教ですと、「念仏」なり「題目」を一日
十回唱える信者より百回唱える信者の方が、十倍御利益があると
百回より千回とエスカレートしていくわけです。

当然、布施と称しての献金やらも同じ論理でしょう。
信者は、幸せを得るために益々、そうした他力御利益の深みに
はまっていくわけです。

昔、五木寛之氏の著書「他力」を読んだことがありましたが、
浄土思想の強い支持者といった印象と、さすがに時代の文筆家らしく
文章が上手いなといった感じはもちました。
しかし、その時でも「他力」が生きる本質とは思いませんでした。

経済的な苦があれば、信心が足りない。
自身の病気、あるいは家族の病気だって、同じように信心が足りない。
仕事が上手くいかない、信心が足りない。
どのような苦であれ、その原因を「信心が足りない」というところに
持って行ってしまう、人間の「欲」があればあるほど、そんな方向に向かう。

私は「欲」が「苦」を生むといった、解釈を信じてますので、
考え方の相違といいますか、完璧な「他力」信仰は受け入れられません。

そこで「般若心経」ではどうなのか?
菩提薩埵 依「般若波羅蜜多」故
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃


ここは「般若波羅蜜多」の「行」を行うことにより
心無罣礙になり無有恐怖になり究竟涅槃に至るとあります。
これが救われです。

「般若波羅蜜多」の「行」とは、「自力」なのです。
瞑想も自力です。
瞑想によって「ホントの苦しみを自覚」できて、それをかたづける。
あるいは、苦しみを発生する「自らの想念」に気づく。
そんな悪い想念を発する「心の姿勢」に自ら気づいて直していく。
そうした、自分を見つめる努力、そう「自力努力」は幸せになるに
必要なのだと、私は考えております。

この「般若波羅蜜多」の「行」はとても奥が深いのです。
ここでの数行で理解できる「行」ではありません。

自身で瞑想、日々の生活の中での気づき、もちろん知識も必要です。
私も、まだまだ、この道、歩き始めたばかしです。
よろしければ、皆さんと心を一緒にして、ゆっくりでもいい
歩いて行けたらと望むところです。

If you should stand then who’s to guide you?
If I knew the way I would take you home.


そんな気持ちから、今回は書いてみました。
ではでは、今年も「般若心経」の素晴らしさを感じていきましょう。


The Grateful Dead's 'Ripple' by The Barton Hills Choir