おはようございます。
昨日は南三陸からの疲れを癒すためにのんびりと過ごすことにしました。
近所で開催されていた「やおきさんのマルシェ」にふたりで行きました。
すっかり夏仕様の服を着てプチリゾート気分です。
普段は食べない甘いものが欲しくて「かのこ」の和菓子を食べました。ふたりとも粒あんが好きなので気分は上々(しゃんしゃん)です。
葱フェスで大変お世話になった潤さんや畔上さんにご挨拶して早々とマルシェを後にしました。
マダム雑誌風に霞師匠の写真を撮ってみました。旅用に買ったオレンジのスーツケースに付いていた花柄のバッグは大きくて便利なバッグです。リゾート旅行用に買ったのですが僕のせいで中々旅に行けません。何処にいても楽しいことに変わりはありませんが、チャンスがあったら二人っきりでゆったりとした時間を過ごしたいと思っています。
帰りに小さな神社を見つけました。ここは八幡神社と書いてありました。先日お邪魔したのも南三陸の八幡さまでした。なんとなく縁を感じました。ふと屋根を見上げると「卍」があります。
なんで卍が?と思い調べてみました。
「ヒンドゥー教ではヴィシュヌ神の胸の旋毛(つむじ)、仏教では釈迦の胸の瑞相が由来で、左旋回の卍は和の元といわれ、右旋回の卐は、力の元といわれる。」とありました。では何故ナチスが右卐を選んだのでしょう?
「1900年代初頭のドイツにおいて、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が1920年に党章に採用したハーケンクロイツ(鉤十字)は、シュリーマンがインド・ヨーロッパ語族と卐(右まんじ)の関連を示したことで、アーリア人の象徴として選ばれたものである。」とありました。
ここで疑問に戻りますが神社に卍があるのはこんな理由です。日本に昔からあった神々信仰は特定の氏や村を守ると言うきわめて閉鎖的な宗教でした。「普遍宗教である仏教の伝来は、このような伝統的な「神」観念に大きな影響を与えた。仏教が社会に浸透する過程で伝統的な神祇信仰との融和がはかられ、古代の王権が、天皇を天津神の子孫とする神話のイデオロギーと、東大寺大仏に象徴されるような仏教による鎮護国家の思想とをともに採用したことなどから、奈良時代以降、神仏関係は次第に緊密化し、平安時代には神前読経、神宮寺が広まった」とWikiには記されています。
つまり神道と仏教の良いところを取り込み融合させて現世・来世の護りとした訳ですね。日本人らしい融和的な考え方です。ところが明治政府は「神道国教化のため神仏習合を禁止する必要がある」として神仏分離令を発動して仏教を弾圧し始めます。そして神社から仏教関連の歴史的遺跡や貴重な仏像などを破壊するなどの動きが国民を巻き込みながら始まりました。しかし様ざまな経緯を経て「結果、明治8年には大教院を閉鎖、明治10年には教部省も廃止し、内務省社寺局に縮小され、神道国教化の政策は放棄された。代わって神道は宗教ではないという見解が採用された。」
とあります。破壊されずに残った古い神社には卍のマークが残り、日光東照宮には鳥居と五重塔など神社と寺院が融合された奇妙な形で残ることになりました。
玄と霞の散歩道がいつのまにか神道と仏教の謎を紐解く散歩となりました。ちいさな存在である人間は神仏に頭を垂れることで、傲りを無くし愛友和を得るのでしょうね。
玄と霞の散歩道はこれからもゆっくりとのんびりと続いてゆきます。 感謝


