楽あれば苦あり? | 年頃息子との正しい付き合い方

年頃息子との正しい付き合い方

思春期を迎え、何かと大人になって行く息子との接し方決定版(笑)

昔の人は色々な名言を残したなぁ~と最近思う。

その中で、【楽あれば苦あり】・・・・・ホント(笑)

自分の心の中の本音は自分にしか判らない。

相対する人によって、表現が変わったり、伏せたり、真意と違う

解釈をされてたりetc・・・

結局自分にしか判らないんだよね。

捏造表現したとしても、自分自身は判ってるって事。

で、楽あれば苦ありなのだが、今まさに実感(笑)

別に楽してた訳じゃないんだけど、普通にやって野球三昧して

って感じだった事を、楽と言う枠組みで考えた場合に「楽しい事を

続ける前にちょっと苦労したまえががんさすれば、汝更なる喜びを

授けてしんぜよう得意げ」って言われてんだよ、きっと(笑)

そんな状態だと決めつけてしまうと、構造が本質的には結構単純に

出来てる僕としては、「そっか!」って事で受け入れてしまう。

こりゃー結構重宝してる性格である。

そしてその苦境(苦しんではいないが・・・)も6合目を越えたあたり

なんじゃないかな?って感触があるグッド!

色々な部分で動き、初めは何も見えない状態だったものが

徐々に輪郭を現し始めている。

いきなり真っ暗な所だと何も見えないけど、目が慣れてくると

ぼーっと見え始めてくるでしょ?あんな感じ??

そして、今やってる事に確証を持て始めてる。

無理だな→ホント大丈夫か→ん?出来るかも→出来るな、こりゃ

って進捗具合。

ビジョンは完璧(なはず)、足りなかったのは確証と書いた裏付けだった。

それが実を結べば僕の天下だ!!うはははって感じよチョキ

だから、むしろ今の現状は楽しいのかも知れない。

何かを達成する為に積み上げるって行為は、元から嫌いではない。

勝つ為に築き上げる鍛錬と何ら変わんねーよって思ってる。

違うのは、築き上げる時に野球だと皆が同じ目的を持つから

判り易く、且つ疎通が楽。

でも社会で自我の欲求を達成する為の構築となると、相手の

ある事だから、損得勘定が介在するって事だけ。

この部分を相手に対して如何に特特勘定(新語にひひ)とし、だからやった

方がいいでしょ?って感覚にするか?を如才無く出来るかにかかって

来る。

それがソツ無く出来れば、共通目的意識となり野球も社会も一緒って

話はリンクするでしょチョキ

要はそーゆー事。


今は早く帰る事が余り出来なくて、裕○との接触が少ない。

でも頑張ってるお父さんはカッコイイんだから、僕は幾つになっても

カッコイイままで居たい。

頑張れ、俺(笑) 

   ひ