『桜は必ず、また綺麗な花を咲かせる』(記:2011年4月) | 鰻に魅せられて

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☆うな重を食べるとそこには笑顔が生まれる☆

高知で今年一番の、桜開花宣言が出された。春も間近に迫り、わくわくする今日この頃だ。思い起こせば昨年の4月、毎年決まって、花を咲かせる桜と、甚大な被害を及ぼした東日本大震災に対する思いを重ね合わせ、エッセイを書かせていただいた。

あの3.11から1年、改めてそのエッセイをアップしたいと思う。被災者の心の傷はそう簡単に癒えるわけもないが、まもなくやってくる麗らかな春の様に、少しずつでも穏やかな生活を取り戻せるよう祈りたい。


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エッセイ『桜は必ず、また綺麗な花を咲かせる』(byうなっくす)
 
▼悪夢の様な東北地方太平洋沖地震から1ヶ月余りがたった。今なお、続く余震に心休まらない日々が続いている。

周知の様にこの度の震災、そしてそれに伴う想像をはるかに超える大津波によって、多くの尊い命が犠牲となり、未だ行方不明の方達も多い。また、終わりの見えない福島第一原発問題による、食物に対する風評被害も少なからずあるようで、3月11日、午後2時46分に起きた“東北地方太平洋沖地震”が様々な形で影響を及ぼしている状況だ。


宮城、岩手、福島をはじめとする東方各県では甚大な被害を受け、各地では急ピッチで復旧作業が行われている。その最中、被災地へ向けてボランティアによる炊き出しなども多く行われる、“助け合い”の精神など、心温まるシーンにはほっとさせられる。


▼つい先日、福島第一原発の避難勧告区域にある福島県双葉郡浪江町に住んでいた知人のIさんと東京で久しぶりにお会いする機会があった。仕事も引退して田舎暮らしを楽しんでいた所、あの大震災の被害にあった。いつもニコニコして、人柄の良さそうな感じの人で、それでいて元気のあるIさんでさえも「最近までは食事も喉に通らなかった。あの日“のショックは相当、大きかったよ」と振り返ながら、「あの時間、サウナにいたがあの揺れにただ事ではないと思い、急いで着替えで車に飛び乗った。実家へ帰ろうにも、道路が大きく隆起していたり、または陥没していたり、普段であれば数十分で着く所を2時間以上もかかったよ」と当日の様子、「その後は例の原発問題で警察が自宅にいきなり乗り込み”早く避難してください!“と有無を言わせず、避難所に連れて行かれた。落ち着いた時に大事なものをとりにいったけど、有事でみながテンパっていた感じだった」と振り返った。
 話を伺っているだけでも、その非日常な環境に言葉も出なかった。今は都内に住み、常に「被災証明書」を持ち歩いているIさんの顔からは何回か、笑顔を見られた事が救いだった。



▼また、鰻蒲焼店で組織される『うなネット宮城』の仙台、石巻メンバー間でも、“店舗内がめちゃくちゃだ”、“事務所は津波で流された”、“一階天井まで津波によって水に浸かってしまった”など震災、そして津波による被害は甚大だった。当時、私自身も安否確認のためネットで呼びかける一方、それぞれの社長の携帯にも電話を必死にかけていた。たまたま通じた時、実際に被災した本人にかける言葉も見つからなかった事をただただ、覚えている。あの震災が人の精神に及ぼす、その影響の大きさというものをまざまざと見せつけられた。



▼すでにウナギ業界でも義援金をはじめ、ボランティアも行われている。“被災地の方々がうなぎで笑顔が溢れれば”とは、東北と同様、大震災に見舞われた長野県栄村を訪れ、ウナギ蒲焼の炊き出しを行ったうなぎのまち岡谷の会メンバーMさんの言葉で、実際に被災地の方々も比較的元気を取り戻していたようで、本人もほっとしていたようだ。またうなネットの仙台メンバーも被害が甚大だった石巻での鰻弁当の炊き出しを計画中だ。みなそれぞれのちょっとした優しさで、少しでも被災地の方々の間で笑顔が見られればと思う。(※2011年4月28日に石巻市へ行ってきました)



▼東京では“すったもんだ”の花見シーズンが終わりに差し掛かり、すでに花びらも散り、葉桜になり始めている。しかし、必ずまた綺麗な花を咲かせるこの桜の様に、国民みんなが再び、この麗らかな春の様に穏やかな日々を過ごせるよう、お祈り申し上げたい。本当にこの度の東北地方太平洋沖地震、そして長野県北部地震により、被災された方々のお見舞い、そして亡くなられた方々に心からお悔やみ申し上げます。

[昨年の桜/幹から力強く、綺麗な花を咲かせています☆]
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