鰻に魅せられて

鰻に魅せられて

~鰻(うなぎ)に関する話題をメインに書き綴ったこだわりブログ~ 
☆うな重を食べるとそこには笑顔が生まれる☆

うなっくすが”うなぎ”をアピールし続けるっ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは貴方自身が決めるものです。

 

 

 

 

グルメガイドも、口コミも、あなたの“基準”で決めたものではありません。

もう、流されるのはやめましょう。

 

 

(あれ?美味しいはずなのに、、、)

 

 

(ん?いつも行列してるのに、、、)

 

 

(ぼくの味覚がおかしいのかな?、、、)

 

 

(えっ。普通、、、じゃん?)

 

 

 

と思ったことありません?

 

 

 

 

そんな、歪んだ疑問は早く解き放った方が貴方のためですし、うなぎやさんのためにもなります。『僕には合わない』、『私にはちょっと・・・』、と正直になるのもいいんじゃないんですかね。

 

 

 

世界で一番、美味しい鰻屋さん。
それは貴方自身が決めるものです。

 

 

多くの方々がそれぞれ、“世界一の美味しい鰻屋さん”というのを持っているって、素晴らしい事じゃありませんか。

そんな“世界一”なら、世の中にたくさん、あってもいいと思います。

 

 

 

 

世界で一番、美味しい鰻屋さん。
それは貴方自身が決めるものです。

 

 

 

 

 

味の感じ方は、人それぞれです。

 

 

新仔とヒネ仔、国産と海外産、天然と養殖、地域によってタレが甘いか辛いか、蒸しを入れるか入れないか、焼き加減がどうか、など人それぞれ“好みの“ウナギがあると思います。

 

日本全国の人が皆一緒に”ここのお店のウナギが一番好きです“ということは絶対にありません。

 

<井の中の”うなぎ“>にならぬよう、気をつけてほしいものです。

 

 


※長文


春のお彼岸の時期になると決まって思い出すのが『色川』のオヤジさん。


浅草で有名な鰻屋、創業1861年「色川」の生粋の江戸っ子であるオヤジさんが2014年3月24日に亡くなって早6年が経とうとしている。


つい先日、何年も訪れていなかった『色川』に鰻を食べに行った。11時30分オープンの20分前に着いたがすでに4人が並んでいた。時間になると店の中に通され、運良く、あの色川のオヤジさんがあくせく鰻を焼いていた焼き場の目の前のカウンター席に座ることが出来た。

今は、奥さんのサチ子さんが鰻を焼き上げ、娘さんの紀子さんが鰻料理を配る。

オヤジさんが焼いていたシーンがフラッシュバックする。あーでもねー、こーでもねー、いろいろ雑談をしていたあの頃。店の前はいつも長蛇の列が出来ていて“口は悪いが心は優しい”を地でいくオヤジさんは“客と口喧嘩し、帰ってしまったお客さんのことを後で気にしながら、”ちょっと言い過ぎたかな、俺も悪かったな“と気にかけるところは、とくに貴重な一面だった。
 

そんな、昔のことを思い出しながら、そのカウンター席で肝焼き、うな重に舌鼓を打つ。
 

※在りし日のオヤジさん


帰り際、”大変、ご無沙汰しています “と、穏やかで物静かな女将のサチ子さんにご挨拶、会計の短い時間に言葉を交わした。

「ほんとは、(亡くなってから)すぐにやめようと思ったけど、こんなにやるとは思わなかったわ。ほかの仕事は出来ないし、私はこの仕事しか出来ないから」、そんなことを口にしながら、“オヤジさんが心配して天国からずっと見てるんじゃないですかw”と言葉をかけると、少しニヤッとし微笑んでいた。


ちなみに、色川のオヤジさんとは毎年、春と秋のお彼岸に行われる浅草放生会のあと、オレンジ通りにある、いきつけの喫茶店「モンブラン」で一緒にレモンスカッシュを飲みながら、雑談するのが恒例になっていた。


2014年3月の浅草放生会の時も、そうした時間も楽しみに浅草へ向かった。しかし、受付にいた「初小川」の河合さんいわく『早く来て、今日はさっさと帰っちゃったよ』と。(残念!なんか、あったのかな)と思っていた、わずか3日後に天国へ旅立ってしまった。

いつもお会いする時、オヤジさんの目力に凄く緊張した一方で、いろいろな話をじっくり聞いてくれる方だった。亡くなるぎりぎりまで辛さをほとんど見せず、仕事に打ち込んでいたようで、オヤジさんの生き様、というのか。

以前も自身のアメーバブログ『鰻に魅せられて』で綴ったが、オヤジさんと話していると大抵の事がいかに小さいものかを実感させられたし(※記事後半、参照)、その都度、こころがす〜っと晴れるのを覚えている。

鰻を食べに行った時、テレビの取材時にまぎれた時、浅草放生会でご一緒した時、東蒲の講演後にほめられた時、レスカをいっしょに飲んだ時、いつもオヤジさんは”人として”かっこ良かった。



↓当時、私が書いた追悼記事↓

↓<2014年4月>

『鰻屋「色川」のオヤジさん、安らかに』
〜三社祭では50年以上神輿を担いだ、大のお祭り好き〜


浅草雷門に近い、こじんまりとした趣のある佇まい、辺りに蒲焼きの香ばしさを漂わせ、常に長い行列が出来る鰻屋『色川』。その6代目のオヤジさんが先月24日(※2014年3月24日)、72年の人生に幕を閉じた。亡くなる2日前まで普段通りに営業、多くのお客さんの注文をこなしていただけに突然の死に、奥さんのサチ子さん、娘さんの紀子さんはじめ、周りも驚きを隠せない。

オヤジさんは生粋の江戸っ子、大のお祭り好きで地元の三社祭では50年以上、神輿を担ぎ、平成18年(2006年)には神輿運行責任者も務め、一方で毎年2月には岡山県の西大寺で行われる裸祭りに遠征するほどだった。テレビ、雑誌など多くのメディアにも登場、海外からのお客も目立つなど、そのべらんめえ口調にファンは多かった。

 
女将のサチ子さんは生前のオヤジさんについて「お祭りは無論、昆虫、野球、歴史、神社・仏閣などの話がとくに好きでね、話しだしたら止まらない。野球なら“観る”のも“やる”のも好きでとくに長嶋茂雄さんの大ファンで『長嶋茂雄ドリーム・トレジャーズ・ブック』という分厚いメモリアル本も残っていますよ。また、お店で大好きな昆虫について話しだすと、もう大変。昆虫の嫌いなお客さんがいたらどうしようかって(笑)」と話しながら、「亡くなる数日前、お客さんとの雑談で“男ってものは、パッと咲いてパッと散るもんだ”と言っていたのが印象的で・・・」と明かした。

本紙(※日本養殖新聞)では今回、追悼の意を込めて、記者自身がオヤジさんとの会話のなかで書き留めた語録を一部、紹介したい。

▼『まわりは100年に一度の不景気、と言うが、逆にこんな年に生きられて幸せじゃねぇか。こんな年、めったにねぇし、男の度量を見せ付けるチャンスだし、わくわくしねぇか?ぐちぐち言う前に基本的な事をやればいいんだ!それだけだよ、おれは単純明快。みんな、考えすぎだし、不景気のせいばかりして基本的な事が疎かになってんじゃねぇか』(平成22年(2010年)3月)

▼『えらそうな事は言えないが、自分のやるべき事はきっちりとやる、自分の責任はきっちり果たす事。それだけだな。俺は鰻屋だから、きっちりとした原料を仕入れ、炭火でしっかり焼き上げ、基本に忠実に仕事をする。商売とはお客さんにかわいがってもらわなければいけないから、俺は商品でサービスを与える。まかりまちがっても、リップサービスじゃないぞ。あとは自分の仕事に誇りを持つ事だね、“俺のところは日本一のうなぎ屋だ!”ってね。そんな日本一なら、百人、千人いたってかまわない。自分の仕事に対するそうした誇りが大切なんだよ』(平成18年(2006年)5月)

今の“コロナ騒動”は、まさに“100年に一度の不景気”話にぴたりとあてはまる。“何でもコロナのせいにして、基本的なことをおろそかにしてんじゃねえよ!こんな年、めったにねえし、男の度量を見せるいいチャンスじゃねえか!”ってね。


人としてかっこよかったオヤジさん。今でも天国であくせく、うなぎを焼いていることだろう。


オヤジさん、明日20日の『浅草観音春季放生会』、行ってきますよ❗️