面白く。
散々視聴率が振るわなかった平清盛の大河ドラマのテーマだったっけ
個人的には名作だったと思っている。

自分はリベラルだっていうことをよく言うが
昨今何かと部が悪いリベラルの本質は、
『不条理をなくし、良い社会の仕組に変更することを「良し」とする思想』
のことだと私は思っている

別に革命起こす為に行動することじゃない。過激左翼とは違う。

もちろん自分の中に
アナーキストな部分、反体制的な虫がいることは認める。
みんなが好きなものをうがってみる天邪鬼もおる。
そうじゃなかったらロックやパンクを好きにはならないだろう

ただ、「良く」するといっても
ある人にとっての良い変化は、必ず別のある人にとっては悪い変化になる

比較的損する人が少ないであろう、待機児童問題でも
民間の闇保育などは、嫌がるだろう

結局は自分がどういう状況がいいと思うかを考えて行動するしかない
そして、屈したら負けだということ

だから思想には闘争がつきまとってしまうのかな?


前段が長くなってしまったが

私が嫌いな思想の一つに「恐怖による支配」というものがある。
散々書いてるように、私は元々いじめられっこだ
今でも、随分ましになったとはいえ、舐められるのは日常茶飯事だ

恐怖というのは、暴力、パワハラ、DV、権力 etc

それに対抗する為に、平和、尊重、友愛etc色々な概念がある
もちろん言動の中にそれらに組み込むことによって改善する部分は多々ある
手段として、法律、裁判、選挙、民主主義、それも色々ある

しかし、結局「恐怖による支配をしたい人」には通用しない

昨今はサイコパスって簡単に病気のように言っているが
病気にして解決するものではない

また、恐怖による支配をしたい人には
独特の魅力が出てしまう。
人を惹きつけてしまう部分がある
モテるしね←僻


「恐怖による支配をしたい人」たちの弱点として
自分が攻撃されると弱いというのもある

だから屈さないこと、負けないことも対抗手段にはなりえる

ただ残念ながらその上で「勝つ」には自分たちが
「恐怖による支配」をするしかないのかな

という風に思ってしまっている。
ここは皆さんに是非違うという意見がほしいとこだが

でも結局そのやり方も長くは続くまい

結局「屈さない、負けない」くらいがいいポジションなのかもしれない

リベラルが万年マイノリティーなのも、実は当たり前なのかもしれない


恐怖に屈しない、負けない戦いを続けていくしかないのわけよ

勝てないかもしれないけどね


と、一旦ここまで書いてアップしたが
世の中には「逃げるが勝ち」という言葉もある


攻撃的な人には関わらないのがいいという本を渡されたこともある。

ただ逃げることは、面白くも楽しくもない


このブログは意見というよりは
さまよって矛盾しまくってるのを、少し人の意見が聞きたくなったからです。

なのでおかしいとこいっぱいあるかもしれない。