今日はまた充実したいい日でしたチョキ
 
そんな気分のいい帰宅途中にね、
 
最寄り駅で階段を下りていると、
人にぶつかりそうになりながら、
ふらふらと歩いている女性がいたんです。
 
というか、
 
実際ぶつかっていて、
そんな状態なのにスミマセン、
としっかり謝りながらふらふらと歩いている。
 
気になったんだよね、その女性のこと。
 
でも一応前に向かって進んでいたし、
距離もあったので一旦、私も階段を下り切ったんです。
 
…が、
 
どうしても気になって、Uターンして戻ってみることに…。
 
するとまた別の女性が、
立ち止まってケアしている様子が、見えた。
 
自分が急いでどこかへ向かっていたり、
心に余裕がなかったら私はきっと、
自分の道をずんずんと進んでいったでしょうね。
 
(あ、誰かが面倒見てくれてた!)と人任せに…滝汗
 
時間に急かされて生きる現代人、
困っている人に全て立ち止まれないことを、
誰も責めることはできないと思う。
 
でも今日は私も気分が良かった、
そして急いで向かうべきところもない。
 
それにせっかく戻ったので、
立ち止まって目を閉じているその女性に、声を掛けました。
 
「大丈夫ですか、すごい気になって。水とか、飲みたいですか」
 
すると彼女、
次から次へと声を掛けられて、
力なくでも笑いながら、
 
「すみません、大丈夫です。私もそう思って今、水買いましたから」
 
私もほっとし彼女も少し落ち着いたのか、
なぜか2人して笑い出すという…始末笑い泣き。w
 
「あー、もうびっくりしましたよ!」
「ごめんなさいねー、心配させて!」
 
知らない人なのに。w
なぜか笑いが止まらない私たち。
 
安心したんでしょうね、お互いに。
 
バスに乗るという彼女、
「バス停の椅子まで一緒に行きましょうか」
とオファーしてみるものの、「大丈夫」とのこと。
 
顔色も最初よりマシに見えたので、そこでお別れしました。
 
これは別に私に奉仕の心があるとかないとか、そんな話ではなくって滝汗
 
心にゆとりがあると人は、人のことまで考えれるのだ、と。
 
それを強く痛感したという話です。
 
もちろんゆとりがなくてもできれば、それは素晴らしいこと!
 
でもできないことを責めるわけにはいかないもんね。
なら、心にゆとりのある生き方を選び続ける、というのも手だな、と。
 
私の場合確実に、
 
会社勤めからフリーになった時点で、
時間の概念からかなり自由になり
(ま、取材アポや締め切りあるけど)、
ゆとりが生まれたことはあるかもしれない。
 
そのことで良かったー、と思うことは本当多いよ。
 
そして今日みたいに、
 
立ち止まって困っている人に時間を使う
 
ただこれだけのことが、
忙しい日々を言い訳に
できていないことも多かったのだ、と。
 
もう一度書くけど、どちらが正しいとかの正論を話しているんじゃなくてパー
 
私は、単純にそういうときに、
サッと動ける人でありたいと常々思っているだけですデレデレ
 
そしてあの、
 
倒れそうだったおばさんと笑い合った
瞬間に言い知れぬ幸せを感じたから!
 
私の方が、何かをもらってる、んだよねきっと。
 
特に母親世代の人が困っていると、
私は手を差し伸べずにはいられない。苦笑
 
きっと、彼女もそうやって助けられてるに違いないから(ほんっと天然だからねパー)。
 
そんな風に優しい気持ちになれた、
とても幸せな日のただの忘備録、でしたラブラブ

 

Sweet dreams for all! Xx

 

 

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