「競売大好き」です。
引き篭もり生活も後わずか、隔離生活12日目。
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2月中旬から約2週間、マレーシアから日本へ一時帰国しておりました。
以前所要でと書きましたが、父親の新しい入居施設への移動手続きのためでした。
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父親はレビー小体型認知症を患っており、要介護1から一気に要介護5まで容体が悪化してしまい、これまでの施設では対応が難しいとされた為でした。
認知症の中でも進行が早い事は聞いていたのですが、大好きな孫の名前までわからなくなってしまった姿を見るのは寂しいものです
飛行機が何より怖かった父親は、孫の顔見たさに当時、遥々マレーシアへ決死の思いで来てくれたのでした。
実は私が大学生の時も父親は大病を患っています。
脚立に乗って玄関の屋根を修理していた時に、バランスを崩して滑り落ち、庭石に頭をぶつけ、意識不明となったのです。
頭蓋骨陥没による脳挫傷のため、手術後も意識が戻らず、医師からは植物状態を覚悟して下さいと宣告されました。
ところが約1ヶ月経過後、父親の意識が回復します。
言語障害や記憶障害は残ったものの、医師からは「半分以上の脳損傷が認められるのに、これは奇跡ですね」と仰って頂く程の出来事でした。
後で父親に聞いたところによると、私が大学を辞めて働くと話してたのが聞こえ、「これはいかん!」と起き上がったら病院のベッドだったという事のようです。
その後懸命の努力で父親はリハビリをし、仕事へ復帰できるまでになりました。
定年まで勤め上げた後も、マンションの清掃人としてバイトを続け、私が購入する物件の管理人になるのが次の目標だと語ってくれました。
そんな父親と移動前のグループホームでゆっくり話したのです。
新しく移動する介護付老人ホームでは、コロナ対策で面会が当面禁止だったからというのもあります。
何度も父親には話している事なんですが、私の不動産賃貸事業の活動を、さも初めて知ったかのように聞き入り、「そうかそうか安心したよ」と嬉しそうに頷いてくれます。
記憶障害で時代時代抜け落ちているのですが、父親がサラリーマン時代に大家をしていたことは覚えていました。
私が小学生低学年の頃、父親が家賃の回収現場に連れて行ってくれたことがあります。子供と一緒に行く事で情に訴える作戦だったかもしれません
自主管理をしていたのですが、家賃滞納が多く、何度か夜逃げされたこともあったようです。
実家には夜逃げで回収したオルガン等が持ち込まれました
そうした自主管理の煩わしさに音を上げて、収支トントンでアパートを売却してしまって以来、兼業大家は辞めたようです。
今思えば、サラリーマン大家を時代に先駆けて父親はやってたということになります。
今なら優秀な管理会社は沢山ありますから、任せることができたら、また変わっていたかもしれません。
一方、それでも不動産は大好きだったみたいで、その後も「新駅ができるらしい」「バイパスが通るから収用されたら美味しい」と胡散臭い話を信じては、今は亡き母親に無断で土地を購入してたこともあります。
結果は何れも計画が実行される事なく、だいぶ寝かせた上で損切りです
結局、不動産関係では何一つ上手く行ってないのが父親でした。
斯く言う私も、以前お話した不思議なハンコ屋さんから、「あなたは金儲けに向かない人だねえ」と看破されています。
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「しっかり者の奥さんの言う事を良く聞いて、二人がいいと思うものだけを取り組みなさい」と当主の桃仙さんから言われたのでした。
そんな話を父親にすると、「自分は母さんに黙ってやっちゃってたからなあ」「○○さん(私の妻)に感謝だなあ」と。
私も父親の血を受け継ぎ、不動産が大好きです。奇しくも二代続けてサラリーマン大家を経験することになりました。
しかしながら、事業下手というのもしっかり引き継いでいるのを認識して、夫婦共に良いと思うものに邁進していこうと思います