今、日本はグローバリズムの波に飲み込まれ、国の政策もそちらの方向に流されています。さらに中華思想へ貢献するような政策もプラスされるため、このまま進んでいけば日本の「土地」は残ったとしても、「日本」という「国」と「日本人」は居なくなると感じています。

 

「国」とはなんでしょうか。日本という国の根幹は「皇統」「日本語=言語」「民族=伝統・文化」だと思います。そこで産まれた人達が生活を営み、時の流れの中で「文化」が産まれ、それが継承され「伝統」になり、文化と伝統により「国」が出来て、そこで生活する民は「国民」となり、そこに住む民は自らが豊かに暮らせるように、試行錯誤し積み重ねて来た歴史の上に今があると思います。そのなかで言葉や制度、決めごとルールなども出来てきました。

 

これら文化や伝統は地政学的な要素により、その場所ごとに様々に進化発展し、それが国ごとの文化や思想の違いになっていると思います。

 

各国ごとに文化や伝統が存在し、そこに住む民はその国の文化、伝統を継承していくでしょうし、それが自然であると思います。中には、自分が産まれた土地の感覚よりも、異国の地の感覚が合う人も居るかとは思いますが、それは極少数でしょう。多くの人は自分が生まれ育った国、その国の文化や伝統が馴染む様に思うのです。

 

日本は今少子高齢化プラス人口減少傾向にあり、生産人口も減ってきています。その解決策として、政府は移民政策を進めようとしています。しかし、生まれ育った環境、文化が異なる外国の人達が日本に永住するとなったとき、移民として入国した人達と私達国民は双方とも辛い状況になるのでは無いかと思っています。

 

日本は単一民族の国家です。言語も日本語で統一されています。日本(土地=領土)は日本人のモノ。日本人とは日本で産まれ生活を営む人。同じ言葉を話し、同じ文化、伝統を持ち、天皇だけを代表として国民は皆平等。個人の利益よりも共同体として国全体の利益を考える。

 

この考え方に同調し、生まれ育った自国の文化を捨て、日本人として生活するという外国からの移住者なら、日本人として日本に住んでも問題ないと思います。

 

しかし、自国の文化をそのまま日本に持ち込み、そのままの姿勢で移住された場合、これは双方にとって不幸なことと思います。日本の言語は日本語ですが、日本語が話せなければ、生活に支障をきたすでしょう。ここに多様性や差別などという見当違いの思考を入れてしまうのは危険です。一部では英語を標準語になどというトンデモナイ議論があるようですが、言葉は文化であり、歴史とともに培われたものであり、言葉は民族の根幹を成すもの。言葉の違いにより、表現出来ないモノや感覚は多数存在します。

 

宗教が異なれば、生活習慣も異なります。文化も言語も宗教も異なる人達が増えれば、日本は分断されて行くことが容易に想像できます。

 

日本の中に「外国」が多数存在するようになるでしょう。その地域は日本に在って外国となり、そのような地域が増えることにより、日本は国の体を持たなく成ることも想像されます。これは多様性ではなく、ただ単に分断です。

 

グローバリストは新世界秩序などと言い、自分たちに都合が良いように、多様性だとか個の権利などを主張します。そして、それに反すると差別だ偏見だと攻撃する。

 

しかし、本当の多様性というのは、彼らの言う何でも有りの世界ではなく、各国が各々の伝統、文化を持つなかで、それぞれを尊重し、お互いが協力し合うことでしょう。

 

これは欧米の植民地政策と日本の大東亜共栄圏の思想の違いに現れていると思います。植民地では言語を奪われ、宗教や生活習慣も強制的に変更され、支配者の為に奴隷化されていました。しかし、大東亜共栄圏で目指したものは、各国を植民地化したり統治するのではなく、各国を尊重し互いに協力し合う事で、相互繁栄を目指すというモノでした。

 

戦前の「国」を尊び共存共栄を目指した思想は、どこに行ってしまったのか。明治以降、祖父母たちは日本の独立を目指して奮闘してきました。不平等条約から幾多の試練を乗り越え、欧米の卑劣な戦略に耐え、大東亜戦争で多くの祖父母達が、日本の行く末を思いながら戦死しました。あのとき日本の未来を信じて亡くなられた祖父母達の思いを、私達は忘れては成らないと思います。

 

戦争は決して良い事では有りませんし、戦争を擁護するのではありません。ただ、国を守ることは国民として当然であり、当時の世界情勢を鑑みれば、致し方なかった事と思えます。

 

大戦で大敗し、焼け野原から復興した日本人の底力を思えば、今置かれている状況も絶対に打破出来ると信じています。生産人口の減少にしても、日本は日本人に有った日本のやり方で解決出来るハズです。

 

安易な移民政策や媚中、新自由主義的政策は、大東和戦争が太平洋戦争にすり替えられた事と似ている気がします。勝算が高かった作戦が、破滅へ向かう作戦にすり替えられてしまった。今、同じ轍を踏むことは祖父母達先人の思いをも踏み躙る事にもなってしまうと思います。

 

大東亜戦争についての参考文献

日米開戦 陸軍の勝算

東京裁判 全訳 パール判決書

日本は侵略国家だったのか―「パル判決書」の真実

 

 

生産人口と少子高齢化については、一時的な対策としての外国人労働者受け入れは

仕方ないかもしれませんが、根本的な問題解決には成り得ず、少子高齢化が進んだ原因を取り除くこと、要はデフレから脱却し、労働者の賃金を上げ、経済を活性化させることが肝要です。そのためには、現在行われている亡国、売国政策の全てを見直し、日本の為の政策に切る変えるしか無いと思います。

 

 

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