シリーズは全てアニメで追っているのですが、当初はそれほど惹かれる作品ではありませんでした。
シーズン1を視ていた時も、面白いけれどハマる要素は無かったのです。
しかし、本作「懐玉・玉折」編は凄く私の心に響きましたし、この作品の評価がぐっと上がりました。
この章はシリーズ中屈指の内容ですし、アニメで見て来た中では一番評価している章でもあります。
本作はシリーズの根幹を為す大きなテーマが語られています。
それを考える上で何度か出て来たキーワードがあります。
それは「周知の醜悪」というものです。
これは実に上手い言い回しで、明確に具体的な内容を示さず、その上でそれが何かは考えればわかるというものです。
この言い回しにより、現実の問題は普遍化したテーマへと昇華するのです。
これこそ物語を作る上で極めて大切な概念であり、力強い説得力に変わるのです。
本作では主人公の二人を初め、主要な登場人物が「周知の醜悪」により哀しい運命を迎えます。
同時にこの運命は、今正に若者が直面している哀しみや苦しみをと等しいもののように思います。
それこそ「進撃の巨人」で爆発した怒りに通じるもののようにも見えるのです。
生贄となることが決まっていた理子に背負わされたものや、傑が抱えた苦しみも、形は違えど同じ立場の人は現実にいると思えるのです。
そして、不幸というのは突然訪れるものでもあります。
あそこまで幸せな彼等を見せてから、過酷な運命に直面させる辺りで本当に心が抉られるのです。
本来、悟も傑も気楽な高校生活を送り、友達のままで居られたはずです。
エンディングの学園生活の写真の彼等が、あまりに屈託無く笑っているのが寧ろ哀しく見えてしまうのです。
映画としてのクオリティも凄まじいものがあり、テレビで放送したものがそのまま劇場のスクリーンでも十分に鑑賞に耐えられます。
それどころか、ちょっとしたアクション映画より数段上のレベルになっています。
こんなものがテレビで放映されていること自体、今は過去に類を見ない状況になっているのかもしれません。
私はテレビで全編視ていたにも関わらず、本作は十分に楽しむことが出来ました。
寧ろ、このレベルの映像は大画面でこそ観るべきもののように思えるのです。
逆に、このクオリティで作り続けられるのかという不安もあります。
視聴する側としては高クオリティの作品は嬉しいのですが、それで制作側が疲弊してしまうと先が続きません。
正直、今この時代の作品こそ、歴史的に見て頂点に達しているのではと思うことがあります。
ですが、それ故に一気に崩壊する不安も感じてはいるのです。
アニメは常にその不安があるからこそ、ファンとしても可能な限り応援していきたいと思う面もあるのです。
願わくば、少しでも制作の環境が良くなって欲しいと願うばかりです。
本作の主人公は五条悟と、夏油傑の二人です。
私は本作を観ながら、実はスターウォーズのアナキンとオビワンのことを思い出していました。
彼等も嘗て兄弟のような関係にあり、決別する運命となります。
しかし決定的に違うのは、覚醒した側が堕ちるのではなく、理性的な傑の方が道を違えるという点です。
ある意味、アナキンも「周知の醜悪」に抗ったのかもしれません。
そして絶大なパワーを取得したことも彼を狂わせる一因になったに違いありません。
ですが、五条悟の覚醒は凄まじく、正に人を超えるとはこういうことなのだとわかります。
覚醒時に個の哀しみや憎しみの感情は吹き飛び、世界を見渡す神の如き視界を得ます。
ある意味、これこそが進化の方向性で、或いはジェダイが目指した先の姿なのかもしれません。
逆にその領域にまで達してしまったからこそ、「周知の醜悪」に対して目にも入らなかったのかもしれません。
そんな強くなった彼でも、傑のことを止めることは出来なかったのです。
本作はあの瞬間に悟が手を下せなかったからこそ起きた物語です。
神の如き力を得たとしても、合理的で冷徹な決断は下せなかったのです。
それこそが本作の面白いところで、多くの登場人物に血が通っていると感じるのです。
登場する敵側の考えも極めて良く練られるいて、だからこそ彼等の対立に深みがでるのです。
そんな彼等がどんな結末を迎えるのか、正に見物です。
単に敵を倒すだけでなく、今迄提供した問題に対して何らかの解答を示して欲しいとも思っているのです。

劇場特典、クズの二人。
【今週のコメダ】
期間限定「チーズカリーとナン」
熱いうちに食べるのが最高に美味しい。
とろとろのチーズを濃厚なカレーにナンの素晴らしいコラボ。
量も多くないので、小食の方にもオススメ。
