「嘘の家族」というのは、多くの作品で扱われているテーマです。
そして、血が繋がっていなくとも家族になれるというのは、多くの作品で描かれています。
その点は本作も同じで、血の繋がりの無い母と息子が親子になるまでの過程が物語の本筋と言っていいでしょう。
本作の面白い点はこの親子の関係の土台に嘘がある点です。
それは法律で判断するならば犯罪行為ですし、罪であることは否定しようがありません。
問題はその嘘が誰の為であるかという点でしょう。
状況的には男の子の安全を守る為という理由もあるでしょうが、同時に千紗子の願望もあったのは間違いありません。
発端は自動車事故を隠蔽するという所からになりますが、倫理的な観点からしても問題があるのは明らかです。
ですが、あの状況下で全て正しい行為を行っていたら、どれだけの悲劇が起きていたかわかりません。
この映画のテーマは正に正しさは何かということになると思っています。
その問題を考える為にも、父孝蔵の痴呆での問いがあるように思えるのです。
孝蔵は常に正しい行いをしてきた人物であり、それが故に娘の千紗子との関係が悪化した過去があります。
つまり、千紗子は元々正しく生きるということに疑問を持っていたのでしょう。
恐らく、彼女は正しくあることだけでは幸せにはなれないという認識があったのではないでしょうか。
勿論、彼女の選択に落ち度が無かったとは言えません。
もっと他に手はあったでしょうし、それでより良い結末を迎えることが出来たかもしれません。
作中の彼女の言動には明らかに未熟な点もあり、だからこそこの結末も仕方のないものに思えるのです。

この映画のもう一つは痴呆の問題を大きく取り扱っています。
だんだん父が壊れていく過程が描かれ、それがとても辛いものだというのがわかります。
同時に医師、亀田の言葉がどれも適格で、私自身色々はっとするような言葉がありました。
先ずは痴呆となった人がとてつもない孤独で苦しんでいるということに気付かされました。
時に徘徊や暴言などで、介護する側には大きな心の負担が描かれますが、同時にそれをしている本人も苦しんでいるということもしっかり考えないといけないことなのだとわかりました。
同時に生真面目な人程ボケやすいというのも意外でした。
そういったことも物語とリンクしていて、正しさが常に人の幸せへと通じる訳ではないという皮肉のようにも思えたです、
同時に、千紗子が少しずつを学んでいって成長していく過程が描かれていました。
そして私自身も彼女のように学び、成長していかなければと感じたのです。
この問題は決して映画の中だけではない、多くの人にとって関わる問題でもあります。
私自身、これから親族の老いについては直面するでしょうし、私自身の老いについても考えて行かなければなりません。
例えば親族が老いにより失敗をしたとして、それを正しくないと責めるのは悪手なのでしょう。
そこで責め立てれば症状はより悪化する可能性もあると思います。
だからこそ、家族としては相手に寄り添ってあげることがより良い場合もあるのでしょう。

もう一つのテーマは家庭崩壊の問題です。
記憶喪失の少年、拓未は明らかに家庭暴力を振るわれ、それどころか父親から殺されかけます。
こんな心無い親からなら逃げて当然ではありますが、それが簡単にはいかないのも現実です。
今は児童相談所などもありますが、それでも子供たちの被害は減ることはありません。
それこそ家庭崩壊自体が現代の大きな病巣にもなっていると思います。
その問題は根深く、今回加害者である少年の父親も、最後に自分も父親から逃れられなかったことを吐露します。
正に家庭内暴力を振るわれた子供が、それが遺伝のように継承し、自分の子にも同じ行為をするという負の連鎖があるのです。
これは凄く面倒な問題であると同時に、今の社会に大きな悪影響を及ぼしています。
正直に言えば、この家庭問題は社会や国家というレベルでの終わりを齎す可能性すらあるものだと思っています。
だからこそ、このテーマは今尚多く語られていますし、考えて対処して行かなければならないのでしょう。
その時に、正しさというものもしっかりと見据えて行かなければならないのでしょう。
だからこそ、人にとっての幸せが何かという根本に目を向ける必要があるのかもしれません。