世界が滅びるかもしれないという不安は、常に頭の片隅にあるように思います。
いつ震災に見舞われるかわかりませんし、地球環境の悪化が齎す影響は悪化の一途で、いつ壊滅的な状況になるかわかりません。
この作品の登場人物も常に崩壊の予感を背負っていて、それ故にどれだけ天真爛漫な振る舞いをしても、どこか影を引きずっているように感じるのです。
だからこそ、登場するキャラ達を愛おしく感じてしまうのです。
後章で世界の構造が判明し、世界の運命がおんたんによって変わってしまったことが判明しましたが、それは原因であって、おんたんの罪ではないと感じるのです。
私は最後まで彼女が彼女のままだったことが良かったと感じるのです。
世界が災厄に見舞われた後も、彼女が変わらずに居てくれたことに救われた気持ちになりました。
逆に直ぐに落ち込んで鬱になるより、それを跳ね返せるメンタルがあった方が良いようにも思えるのです。
それは碇シンジを思い返すとそう思えたりもするのです。
世界の災厄を導いてしまったのは両者とも同じですが、それにどう向き合うかはまるで対極のようにも思えました。

興味深かったのは侵略者サイドの視点がしっかり描かれたことです。
前章では、行動が不明で何を考えているのかわからなかったのですが、後章でどういった経緯で地球に来たのかも明らかになりました。
その実、とても杜撰で酷い計画に、半ば騙されたような形で送り込まれた訳で、そんな彼等はただただ気の毒な存在でした。
そして彼等に対する人間側の態度が正に現代の側面を描いているように思えるのです。
判り易い例を挙げるなら移民問題でしょう。
この映画で描かれる過激派、擁護派の対立は正に今の我々が日常で見られる光景です。
それぞれの組織で行動する姿が描かれますが、どちらも問題を抱えているように見えます。
同時に政治に対して不信感が強めに描かれていますが、ここでも正しい選択の難しさが描かれています。
実際に政府がここまで攻撃的な態度を取るかは疑問もありますが、裏で政治的な意図が働くと碌な事にならないのはいつの時代も同じです。
強行な手段を取るのは正しくない以上に成功率は凄く低いものです。
それでも行動を止められないのは、理性以上に感情が人を支配しているからでもあるのです。
小比類巻の凶行も、結局は感情の発露であって、目的自体も後付のものです。
そこに人としてのやるせなさも感じるのです。

結末は原作と違うもののようですが、確かに随分と後味の良い終わり方をしています。
ラストの門出とおんたんのキスもオリジナルかもしれませんが、私はこのキスに対し同性愛者云々のことは語りたくありません。
そういうことを問題にすると議論は途端に低級のものになりますし、ことの本質を見失います。
それよりも大事なのはおんたんが門出の絶対であるということです。
これは世界を犠牲に得られたものだと言う気持ちもわからないでは無いですが、やはりそれは筋違いだと思えるのです。
これは「天気の子」にも相通じる議題です。
その判断は個人個人で結論を出すべきものでしょう。
その上で私はこの結末で良かったとも思っているのです。
同時に原作ではどうなったのか気にもなっています。
なのでいつか原作も読んだ上で考えてみたいとも思うのです。