タイトルが最大のネタバレという感じですが、逆にこのタイトルで良かったという気もしています。
ラストシーンでの格之進の決断が肝ですが、タイトル通りになってくれて本当にほっとしました。
本作のシナリオは時代劇にしては結構ビターな内容だと思います。
なので、悲劇的な結末をとなっても不思議ではない展開でした。
だからこそ、最後が良い方向に向かったのは救われたと感じました。
とはいえ大団円という訳ではなく、結局自身の罪を償いに行くかのような結末を迎えます。
この結末からもわかるように、この映画には時代劇特有の爽快感というものは無いのですが、多くのことを深く考えさせてくれる珍しいタイプの映画になっていました。

この映画ではテーマである「清廉潔白」というものをどう考えるかが凄く重要になっています。
主人公の格之進はその清廉潔白な生き方により出世もし、同時に理不尽な扱いを受けてしまいます。
それでも彼は自らの信じる道は変えなかったのでしょう。
それは正に武士の生き方の本来あるべき姿と言えます。
しかし、それ故に自らを窮地に追い込んでしまったとも言えます。
疑いをかけられた50両について、その潔白を証明するが為に大きな危険を伴う選択をします。
観客の中にはそんな格之進の生き方を馬鹿馬鹿しいと思う人も居ることでしょう。
確かに今の時代では考えられない価値観によるものですが、格之進とお絹は揺ぎ無い覚悟を持って生きている人達です。
だからこそ、映画のような行動を取ることが出来たのです。
それは確かに素晴らしく崇高なものに見えもしますが、それ故に多くの苦労を背負うことにもなるのでしょう。
そして、そんな凄まじい生き方をしている人の周りには自然と人が寄ってくるものなのです。
源兵衛がその筆頭で、正に格之進という人に対して感心し、それ故に縁を持つようになったのです。
特に源兵衛は彼自身の生き方までもが変わることになります。
そういった素晴らしい側面があり、やはり清廉潔白に生きることは正しいことのように思えるのです。
ですが、それに真っ向から対峙するように仇である柴田兵庫が存在します。
彼の言い分はかなりが虚言であるにも関わらず、格之進に大きな迷いを与えます。
格之進の清廉潔白な生き方をした裏で、多くの部下達が理不尽な運命を共にすることになります。
無論、それは格之進の罪ではありません。
しかし、彼は彼自身の清廉潔白な生き方そのものが正しかったのかで迷います。
その結果、彼は藩には戻らず、自らの信じる道を選びます。
私は格之進は自らを曲げて生きることは出来ない人なのだと思いました。
この世の中には信念を持って生きている人がいて、それを決して曲げられない人がいます。
それは一見、崇高で素晴らしいことのように見えますが、それによりその人が幸せな人生を歩むかは別の問題なのです。
それ程この世の理というのは奥深く、単純な答えというものは無いのだとわかるのです。

本作では草なぎ剛さんが主役の格之進を演じていましたが、実に見事な配役でした。
一見物静かで、それでいて強い芯を持っている人物像がしっくりときていて、だからこそ格之進の決意というものに説得力を感じました。
勿論、國村隼の演じる源兵衛が良かったのは言うまでも有りません。
彼もまた商人として筋を通して生きている人物で、最初のいけすかない人物からどんどん人間的な変化が見られる辺りが見所でした。
そんな二人の関係が観ていても楽しく、碁を通じてお互いに影響しあっているのが面白いのです。
そして、何と言っても仇である斎藤工演じる柴田兵庫も印象深い役でした。
彼は悪役らしく悪逆非道な行いもしますが、逆に格之進の生き方を真っ向から否定しようとした人物でもあります。
なので、虚言も交えつつ彼の言葉には強い説得力がありました。
そういう面も実に興味深い仇役だったと思います。
このように正に白と黒のような関係の二人が囲碁で勝負をつける辺り、007カジノロワイヤルを思わせる緊迫感がありました。
このような展開は従来の時代劇では全く無かっただけに目新しく盛り上がりましたね。
そういう意味でも、かなり新しい切り口を目指そうという意欲を感じました。
それはこれからの時代劇には必要な要素ではないかと思えるのです。