「知っていることと理解することは・・」

『すぐに顔に出やすいのは、分かりやすくていいことだ。
本当に悪い奴は、皆、ポーカーフェイスだ。腹の内を容易に見せない。だから、怖いのだ。』と先達のある御方が囁いた。

それを聞いて、これは滅多にない褒め言葉であるとガッテン!した。

若い頃は瞬間湯沸かし器や導火線のない奴と揶揄された。今でも変わらないと言うヒトもいる様だが、どうも性格はそうそう変わらない保守的なものらしい。

本人は至ってポーカーフェイスを装っているつもりでも、端から見ればバレバレであるようだ。
イヤな奴や生理的に合わないヒトに対して、私の顔や所作に『忌避のオーラ』が後光のように噴出している様なのである。

勿論、本人は分かっちゃいるけど止められない。(意思に反しているから自分に責任はないと思いたい。が、そんなアホな)

48年間の不動産業で、売買においても賃貸においても当事者同士の間に立って、自分の感情を押し殺さなければならない場面に数え切れず遭遇した。

自分の意見を主張出来ず専ら両者の合意形成を得なければ、それまでどんなに努力したとしても、仲介手数料は「All or Nothing 」(100か0)で一銭にもならない。いや、むしろ赤字経営となる。

「他人様(ひと)のフンドシで商売出来る不動産屋なんて、気楽な稼業なもんだ!」と蔑まれも、時には腹の中で「カネ返すからいい加減トットと居なくなってくれ!」と思うこともしばしばであった。

世の中と言うものは、不思議なもので良い人とはあまり商売にならない。
イヤなヒトの方が商売になるので、カネを稼ぐことの厳しさを教えられたものだ。

家や土地とか動かないモノを扱っているから不動産屋と思われがちだが、実は動かないモノより変幻自在に何処に動くか皆目分からないヒトの心理を扱う商売と言える。と、経験上思う次第。

世の中でイヤな奴を何時も忌避出来ればこんなに楽なことはないが、そうは問屋が卸してくれない。

相手のことは知ってはいるが、その言動の本心が理解出来ないのである。頭で理解しょうとしても、体が拒否反応して仕方がない。

「勝負に負けて試合に勝った」の言葉通りに、一旦ここは負けたふりして、相手に花を持たせて実(じつ)を取ると腹を決めて対応する。

この時胸の内に必要なのは、「レジリエンス」(回復力・再起力・復元力)である。

敗北した(ふり)後に、再び立ち上がって行くこと。困難をしなやかに乗り越えて回復する力。を養うことが肝要かと思って生きてきた。

どんなに努力しても、イヤなモノはイヤなのである。どんなに料簡が狭いと言われても無意識に体が反応するのだから仕方がない。

分かったつもりでいても、知っているだけでは理解出来ないことは山ほどあるのである。

知っていることと理解することは違うのである。

無意識のうちに本音を現してガス抜きが出来たから今日まで生きて来れた。
本音に素直に正直になることは、自分自身を護る必要不可欠な処方箋かもしれない。

そこのアンタ!となりで寝ている奥さんが今、なにを考えているかわかりますか?
分からない方がいいんじゃないでしょうか・・