愛猫「パン」死す。最期のひと噛み。(パート1)

2024年6月2日(日曜日)大安吉日に、我が愛猫「パン」が逝き、同月4日に荼毘に付された。

抱き上げると顔をすりすりと擦り付けてきたその肉体は、無機質なカルシウムと化し小さな骨壺に納まった。

「パン」は野良猫である。約17年余り前に、毎度孕んでは事務所の裏に産み落として行く、超モテモテ美魔女の母ネコの最期の忘れ形見であった。(詳細はパート2で)

思えば、老齢で鼻炎を患い体調を崩した「パン」の具合から、もって3ヶ月が限度だろうと当初は思われた。

現住居の一戸建(勝田台エリア)から終の棲家にと購入した緑が丘のマンションへの転居時期が迫っていた妻と話し合いをもった。
老猫「パン」にとって長年住み慣れた環境を変えるのが忍びなく、最期まで見届けてやりたいと心に決めた。

以来、「老人と海」ならぬ「老人と猫」のオッサンズラブの生活が始まった。
が、当初の甘い目論見は脆くも崩れて、4年半の長い日々を老々介護の濃密な時を過ごすことになった。

反して、我々の夫婦のソーシャル・ディスタンスは勝田台と緑が丘が適性距離となった。
私は週に一度のマンション通いの平安貴族の通い夫になった。

「パン」が逝く前後1週間を記したい。

旅立つ1週間前から「パン」の体調の悪化が顕著になった。
右後ろ足は伸びたままになり自由にならない。それまで旺盛であった食欲も細くなった。

日がなリビングのフローリング床に置いた椅子用のクッションの上で寝そべるままの生活となった。

5月30日
「パン」はトイレの砂場で用を足せなくなり、軟便で汚れた尻をクッションに擦り付け、リビングのフローリングの上で失禁するようになった。

翌31日(金曜日)
奇跡は起きた。
それまで私が呼んでもクッションに蹲ったままので、私の寝床に来なかった「パン」が、飲み会(いや、打合せ会)で夜中に帰宅した私のフトンの太腿の上にするすると乗ってきた。

「おや、珍しいこともあるもんだ。」と思っていると携帯がなった。
会話が長引くと「早くやめろ!」と催促するように太腿を足踏みする。
電話が終わって、ふっと見るとフトンの下の端で丸くなっていた。ではないか。

6月1日(土曜日)
昼間。
植木屋の庭木の剪定も終わり久しぶりに垣根や樹木がさっぱりし天気も良いので、リビングの吐き出しの窓を網戸にしていると、突然、何を考えたか網戸を両手で懸命にこじ開けた。

目を離した隙に、何年も出ていない外のコンクリートのベランダに這い出て、それから庭の地面に転げ落ちて仰向けに横たわっていた。
それに気づいた私は、慌てて「パン」を抱き上げて室内に戻す。

まるで死に場所を求めて、人間の目に留まらない所に身を隠すかのように、室外逃亡劇を2回ほど繰り返し、諦めたのか3回目は室内のパソコンの机の下の隅に潜り込み、身を隠すようにぐったりと動かなくなった。

時々思い出したように「ギャー」と泣き声を上げる。どこにそんな力があるのか「パン」の生への執念に驚かせる。

その日の夕方である。
失禁と軟便で汚れてぐったりしている「パン」の尻周りを濡れタオルで拭いていると、「ギャー」と叫ぶなり振り向き様に私の痛めている右手の親指を、おもいっきり噛みついた。

心臓手術後の処方箋で血液サラサラの薬を服用しているせいか、親指に空いた2つの歯形の穴から血が吹き出た。

今にも死にそうでこんなに弱っているのに、この力は何処から出るのかそら恐ろしい思いを抱いた。
思い出すのは、以前に爪を切ってやっている時に瞼にネコバンチをもろに食らい、危うく目を傷つけるところだった。

「本当に、怖えーい奴だ!」油断も隙もないとオジサンは怖気付いた。

夜中。
目を覚ますたびに、「パン!パン!生きてるか?」と呼び掛けるが返事はない。
近寄って見ると微かに腹の辺りが波打っている。
「生きてる!生きてる!」と安堵して眠りに就く。

6月2日(日曜日)
朝。
寝不足気味の起きたての目を擦りながら、恐る恐る昨日同様に横たわっているままの「パン」を覗き込むと、眼を開けてじっーとこちらを見つめている。

今日は友だちが出演する新国劇の舞台を見に行く日である。

カレンダーを見ると今日は大安吉日。大いに安らかに生きるとあるではないか。
「安心!安心!今日一日は、大丈夫だろう。」と、暦の根拠のない記述に自分の気持ちを納得させて、リビングから逃げるように東京へ出掛けた。

夜。
結局、観劇しながらも頭の片隅に「パン」の安否が忍ばれて、舞台が終わるや否やとんぼ返りするも時すでに遅しであった。

「パン」は机の下で冷たく硬く硬直して目を開けたまま横たわっていた。

観劇なんか見ないで、最期を看取ってやれば良かった。いや、心のどこかで、それを見たくない。出来たら避けたいと言う気持ちがあったからこそ、その場を離れたのだろう。

誰だった一番可愛がっていたものの最期は見たくないと思う気持ちがどこかにあるのではないか。

「パン」が残した最期のひと噛みの痕が膿んで腫れて痛い。
この痛みは不人情な飼い主に対する生命(せい)への執念・執着の置き土産かもしれない。
「俺のことを、忘れるなよ・・」

かつて、私の膝の上でのんびりとゴロゴロと喉を鳴らしながら、うたた寝をした姿が、腕枕に全体重を乗せて鼾をかいていた姿が、右腕の痛さと共に思い出される。

猫も人間も生命(せい)あるものは、自分の足で歩けなくなり、食い物が喰えなくなったら死が近いことを今更ながら見せつけられた。

「死にたくない。生きたい。」と願っても叶わぬこともあり、良い生き方をしたから良い死に方をするとはかぎらない。と言うこともまた然りである。

「アナタが噛んだ 親指が痛い 昨日の夜の 親指が痛い♪」

「パン」が使用したトイレや食事皿や水飲みグラスやクッション等を片付けと、リビングが広いことに気付かされる。
その空白の広さが存在感をうしなった寂寥感を際立たせる。

最後に、城山三郎の本のタイトルをパクって「そうか、もうパン(君)はいないのか・・・」

その気持ちがよくわかる。初七日の心境である。