「70年周期説を考える。」


「お酒を沢山呑む人の挨拶は、何と言う?」
『ヨウ!(酔う)』

次いで「ビールとHは生がいい!」

70年周期説とは、近代日本ではそれまで支配的であった社会の中心軸が、大きく真逆の方向へ振れるような歴史を70年周期で繰返している。と言う説である。

具体的には2015年を起点として70年前の1945年は、先の大戦に敗戦して戦前と戦後では軍国主義から平和主義へ変わった。

更には遡ること140年前の1875年前後は明治維新により江戸時代までの封建時代が終焉して、民主主義の近代国家に生まれ変わった。

現在は、第三次の変革時代にあると言われている。

敗戦後71年の2016年の国勢調査の人口調査では初めて人口減少に入り、今後人口減少傾向は続きそれに伴う社会的諸問題が顕在化すると予想されている。

人口の右肩上がりから真逆の右肩下がりの時代に入った。
「戦争を知らない子供たち」を歌った団塊の世代も2025年には75歳以上の後期高齢者となる。

我ら団塊の世代は、盆暮れや初詣の縁日やお祭りの片隅で、軍帽を被って白衣を着て肉体の一部を失くした傷痍軍人がアコーディオンを弾きながら、空き缶や募金箱を前に置き街頭募金を募っていた姿が記憶に残っている。

戦後79年が経ちその姿も見なくなるに連れ、「戦争を二度と起こしてはならない。」「良い戦争なんて決してない。」「戦争は誰も幸せにしない。金輪際イヤだ。」と戦争反対を唱えてきた戦争経験者や戦中派の人々が次々に亡くなり、平成、令和と時代は移り、明治ならずとも昭和が遠くなった感がある。

我が国の戦争経験者が皆無に近くなった時期に、2022年2月のロシアのウクライナ侵攻が始まり、2023年10月に勃発したパレスチナとイスラエルの戦争によって、俄に戦争が身近に感じられるようになった。

我が国も地政学的観点から台湾有事や朝鮮半島のキナ臭さを声高に叫ぶ人々が増えてきた。

そして、世界的に声の大きな奴と根拠なく言い切る輩の跋扈し出した雲行きになってきた。
またぞろ、独裁者に憧れる新世代が蠢き出しているのだろうか。
時計の針が真逆に振れつつあるようで怖い。

バブル崩壊以降、日本経済は結果が出るまで時間のかかる基礎研究分野より、手っ取り早く金儲けの出来るモノに急速にシフトして行った。

経営者は四半期ごとの利益追求に追われ、長期的展望を描けなくなった。
四半期ごとの収益如何では物言う株主から無能経営者として、その首が危ないからである。

企業は新規事業への挑戦がトラウマとなり自己資本の蓄積に奔走した結果、国際競争力を失った。

それらの徒花がブックオフやメリカリに見るリサイクルショップの盛況である。
中古品を仕入れて販売する右から左の流通商売である。
設備も要らなけりゃ技術も要らない水平商売である。

こう言った風潮が物事を短絡的に考える傾向を助長し、面倒なことを避けたがる若者の志向も相俟って非常に保守的な思考となっている気がする。

加えて問題なのは、言葉のありかたである。

昨今の「秘書が、秘書が」と責任転嫁をし、自分が犯した責任の釈明すら満足にしない政治家の輩の言葉を誰が信じようか。
言葉の軽視にも程がある。と言うものである。

「政治は言葉である。」政治家は言葉でもって自分がやるべきことを、国民に説得させる言葉の力を持たなくてどうすると言いたい。

60代から80代の老害政治家が、自分たちは安全圏いる上級国民とイイ気になって、危険な道に若者を駆り立てるのは如何なものか。

かつて、歌(流行歌や愛唱歌)は、歌詞が出来てこれに曲(メロディー)を付ける。換言すれば、最初に言葉を紡ぎ次いで作曲するのが基本であった。

反面、最近の歌は、最初にどんな振付け(ダンス)がウケるかを想定して、これに曲を当て嵌め最後に歌詞を添えて完成させる。
歌は見るものとなり、言葉は単なる添え物(音の一部)となってしまった。

つまり、歌の作り方が真逆になってしまった。歌は聴かせるものではなく、見せるものになってしまった。

かつて、歌手は一人で勝負した。今は、グループで踊って歌う?団体競技と化した。

これは歌の共有化であり、上手い下手を曖昧にさせる効果はあるが、耳に残らない。
若者が自分一人では責任を負いたがらない思考に合うかもしれない。

最近話題のAI(人口知能)は、言葉(データ)と言葉の近いものから関連付けて物事を判断するため、ビッグデータを集積すればする程データ同士の関連性が深化し分析力が増すと言われている。

これは、単なる記号である言葉(データ)が思考力の基礎であることを意味し、言葉を疎かにして思考力の向上は望めないと言うものである。

言葉は文化であり武器であり国民性そのものなのである。

人間の寿命が70年~80年とすると、ある時代を共有した世代が一巡して新しい世代の時代に入った時、時代の思想の潮流は今までと真逆の方向に振り子が振られるのだろうか。

これからの70年周期説の時代は、言葉の在り方がますます疎かにする傾向が続くとしたら、思考力の低下や短絡化にキナ臭い危険なものが感じられるか問われているような気がする。

『愛国心』とは、
自分が生まれたと言う理由で、その国が他の国より優れていると言う、思い込みである。
(バーナード・ショー)