「忘れられない味」パート1



質問者「小さい、を別の言葉で表すと?」

回答者『入っているの?』

団塊のしっぽの世代までは、誰でも一つや二つの忘れられない「味の記憶」があるのではないか。

私の故郷の群馬県前橋市では、海苔巻きやお稲荷さんを「寿司」と呼び、今で言う握り寿司を「生(なま)寿司」と昔は呼んでいた。

大学入学で上京したての頃この話をすると、「生寿司なんて言わないよ。」とバカにされ笑われたものだ。

小学生の時。大人たちが如何にも美味そうに喰っている寿司を欲しがると、「子供には毒だからダメだ。」と言って喰わせてもらえなかった。

考えてみれば、日本全体がまだ貧しい時代であり、生寿司をそうそう食べられるものではなかった。

「お前らガキどもが贅沢するのはまだ早い。自分で銭を稼げるようになるまで我慢しろ。」と言われた。
そこには、大人と子供の越えられない厳然たる結界のようなものが存在していた。

これが、当時の大人が子供に対する躾(しつけ)であった。

毒だと言いながら「何故、大人たちは毒のあるものを実に美味そうに喰うのだろうか?」と子供心に理解出来なかった。

パクパクと皿に盛られた生寿司を一つ残らず綺麗に平らげるのを見て、「は、は~、これが、毒を喰らわば皿まで」と言うことかと、覚えたての諺を訳知り顔で思ったものだ。

それにしても、実に美味そうに喰うその満足顔を見せられて、毒なんて嘘だ、きっと美味いに違いない。

早く大人になりたいと心底思ったものだ。
生寿司への食の羨望が大人になる目標となり、我慢や忍耐が養われた。

食いものの恨みは恐ろしいもので、毒をパクつくご婦人方を「毒婦」と呼ぶんだと、間違った解釈をして勝手に溜飲を下げていたものだ。

狂言の曲目によく知られている「附子(ブス)」がある。
主人が「附子」と言う猛毒(トリカブトの塊根)と偽ったものが本当は砂糖であることを知った太郎冠者と次郎冠者が、我慢できずに全部舐め尽くしてしまうことに始まる頓知話である。

この狂言が「毒」を「ブス」と言われる所以になったとか。

今で言う醜女(シコメ)、不女(ブオンナ)のようなビジュアル(見た目)の悪い女性を指すものではない。(これは、セクハラか・・)

このブスには、アンコウやフグやギンポなどブサイク魚ほど美味しい。今東光和尚もブスほどお道具が良いとおっしゃておられます。
決して、セクハラ用語ではありません。歴史の成せる言葉です。

宴席の隅で余りにも喰いたそうに瞳をウルウルさせている俺を不憫に思ったか、毒婦(お袋)が一つくれた「青柳の握り(一番安い)」の美味しさに目が点になり、貝の剥き身の黄色やオレンジ色の見目美しいお姿が、我が脳にズシーンと刻み込まれた。まさに初物喰いの快感であった。

大人になったら、毒を喰らわば皿まで、腹くくるまで、喰いまくってやるぞ!
そのかいあってか、俺はグルメ(美食家)ではなく、グルマン(食いしん坊)になってしまった。

いい歳こいたオヤジになっても、寿司屋で最初に頼むのはあの「青柳の握り」ぇある。