木川こうじ(仮名)52歳。まだ、誰のものでもありません。


井森美幸かよ。


そんなオヤジも45年前は子どもだった。

時の流れは髪の毛に。


ゾウみたいに誰からも観られることもなく。気がつけばオヤジになってるよ。


時次郎(自称)83歳。いつ逝ってもおかしくはない。


老いて益々盛ん。行き過ぎれば老害です。


筋トレでもした方が良さそうだ。暇があるからろくなことを考えない。自分のカラダに負荷をかけて、いじめ抜けば、周りのことなど気にならない。


気にしたところで残された時間はさほど長くはないはず。


歳をとると現状維持がいかに難しいことか、思い知らされる。


後退する一方なのだから。髪の毛も、体力も、テストステロンも。


オヤジと大衆演劇。


毎年、ほぼ同じコースをぐるぐる回ってくる劇団。劇場がある限り、ぐるぐる回る。そのサイクルを円環時間と呼ぶ。


人生とはエントロピー。直線時間である。オギャーと生まれて、ぽっくりお迎えが来るまでどう生きるのか。それが人生だ。


誰かのために生きないで。


役者とは架空の人物を演じるのが仕事である。


お客さんはそれに魅了される。ほんのひととき。


役者を推していたはずが、なにをとち狂ったのか、自分まで妙な舞台に上がっているかのように勘違いし始める輩が出てくる。


ただのウォッチャー。観てるだけだったのにね。


役者とお客さんは九十九折。両者はすれ違いのパラレルワールドである。


決して重なることはない。重なって見えるのは勘違いというものだよ。


曖昧な境界線、壁を越えて、他者の領域に土足で踏み躙ってくるんだ。そんな権利、あるとでも思っているのだろうか。


たった一度の人生なのにね。二度と戻らない人生なのに。やり直せない人生なのに。


自分の人生の空白を何か別のもので埋めようとしたところで無駄というもの。そこにあなたはいないのだから。


劇場から一歩出たら日常なのよ。出てからも引きずるのは野暮というもの。粋じゃないね。


なぜ主人公になりたがるのか。仕切りたがるのか。そこに需要はあるのか。よく考えた方がいい。


需要と供給。モブとアイドル。


モブは名乗ったところで所詮はモブ。


スーパーでもなければ、プレミアムでもない。モブである。


大衆演劇の大衆、すなわちモブ。


名前もなければ、顔もない。


名前も顔も需要がない。興味がない。関心ないし、眼中にない。


それでも名乗り続けたいのか。誰に向けて名乗るのか。


今がシュンでした。プレミアム、スーパープレミアム。


その価値、誰が認めてんの?一体、誰が?