今年のサマソニはサカナクションが日本舞踊の踊り子を冒頭の二曲だけ用いていた。
夜の踊り子
アイデンティティ
ロックと日舞のコラボ。
インバウンド映えしそうです。
今がシュンです。S的雑談します。
日舞でもイケるんだったら大衆演劇でもイケるのではないか。
イケません。無理です。どう考えても。
梅沢富美男が前川清のバックで踊ったことはございます。紅白歌合戦で。
梅沢富美男がイケるのならば橘大五郎だってイケるのではないか。
デヴィ夫人がディナーショーにカムイを遣ったこともございます。
でも、それはクールジャパンの文脈ではなくて、ローカルなものです。
サカナクションがサマソニのステージに日本舞踊の踊り子を用いたのも「夜の踊り子」という曲ありきです。そして、その流れで次の曲のアイデンティティへと進んでいった。この曲でコラボ終了でした。
日本舞踊の踊り子くらいならばサカナクションの楽曲イメージを壊さない絶妙な加減で用いることはできても大衆演劇の役者は厳しいと思います。
自己主張が強すぎる。アクが強いのです。
演歌だとか元々クセが強いものにぶつけることは可能だと思います。前川清はムーディ勝山を用いたこともございますし。
大衆演劇は添え物に徹することはできないと思います。
昔、ユースケサンタマリア主演のドラマの小道具として大衆演劇のポスターが使われたことがあります。金井劇団のポスターで金井保夫が映ってました。
あのヤッチャンがテレビデビューですよ。TX系列のドラマでした。
居酒屋でドタバタやってるうちに爆発、まるでドリフのコントみたいにユースケサンタマリアたちは真っ黒けになり、ポスターも剥がれ落ちるという扱いでしたね。
まさに大衆演劇の雑な扱われ方よ。これが一般的な大衆演劇の現在位置です。ちなみにこのドラマは四半世紀以上前です。今よりも大衆演劇が元気だった頃ですね。今はなき小岩湯宴ランドと書かれてました。
大衆演劇は黒子に徹することはできません。添え物のパセリにはなれないのです。
デヴィ夫人みたいにアクが強いひとならばカムイを上手く添え物にできるのかもしれませんが。
そもそもカムイは大衆演劇の役者としてはイマイチです。まだまだ根本的なものが足りません。大衆演劇に対してどこかで冷めたところがあると思います。役者バカではございません。どちらかといえばバカ役者です。そういう役者は他にも何人かいます。列挙はしないけども。
大衆演劇は添え物にもなれない。かと言ってメインディッシュとしてもひとを選ぶ存在です。万人受けはしません。
魔女の宅急便に出てきたニシンのパイみたいなものかもしれません。
イギリスのスターゲイジーパイ。まさに大衆演劇っぽいです。
大衆演劇はミラノ風ドリアにはなれない。
まあ、なる必要もないとは思いますけどね。
このスターゲイジーパイをポピュラーにするというのはなかなか厳しいと思います。
空腹ならば食べますか?
カボチャの甘みとニシンの旨み。ハマるひとはハマるけど、決して一般ウケはしないと思います。ニシンは小骨も多いからね。
かといって、見た目を整えて、食べやすいように具材を替えたりしたらそれはもうスターゲイジーパイではなくなるよね。
大衆演劇も現代ウケするようにアップデートしすぎるともはや大衆演劇ではなくなる。
そんなジレンマがあるような気がします。
ブログみたいに自己満足の世界ならば別に何をどう表現してもいいのかも知れないけれども、エンタメとしてある程度評価されたいのであれば質が求められるとは思います。
質が決して高くないものを騙し騙しノリと勢いでやり切るのが大衆演劇だったりしますが、それだとどうしてもファン層にムラができてしまう。コアなファン向けの馴れ合いになってしまいがちだ。
パクチーみたいに好き嫌いは分かれるけど、熱狂的なマニアを虜にするような芸風を目指すのがベターなのか。
ライトなファン層獲得はやはり難しいのか。コラボも厳しいのか?2.5次元という業態があり、そことかち合ってしまうという問題もありそう。版権もあるだろうし、限界もある。
大衆演劇はどこまでもニッチな存在。ピンポイントを狙い撃ちしていくしかなかそうだ。
大衆演劇は大衆を名乗りながらなぜポピュラーな存在になれないのか。
アナクロというのもあるし、人間臭いというのもある。人間臭さは現代人には良くも悪くも避けられがちである。エンタメにとってはやはり過剰すぎるのだ。適度な距離感はどうしても必要なのではなかろうか。距離の近さだけではウリにはならない。老人介護じゃないのだから。
今がシュンでした。ジャーニー。







