ゲリラ大変でしたね。大丈夫でしたか?


浅草木馬館裏の商店街、床が雨で浮いてガタガタになってました。


嵐を呼ぶ浅草木馬館。今月の公演は誰だっけ?


今がシュンです。S的雑談します。


類は友を呼ぶといいますよね。


例の自称プレミアムは今さらジローと仲良しみたいです。一緒に川崎大島劇場と浅草木馬館に行ってますから。似たもの同士、ウマが合うのでしょう。

彼らのブログの特徴、超絶おもんない。




彼らのブログは違和感しかなかった。屈折しているというか、ねちっこいというか。

人のことなんか別にどうでも良くない?


わざわざ金払って芝居観ているのに、まるでネタ探しのために観に行ってるのかとツッコミを入れたくなるわけ。


別にひとの人生につべこべいうつもりはないけども。


結局はひとを貶めて自分を上位に見せたいのか、優位に見せたいのか。おもんない人生だなと思ったり。


違和感は大事だと思いますよ。


どうせ暇なんでしょという話、実は受け売りなんです。


ある役者の舞台を観た際、私の母親が感じた違和感をそのまま書いただけなんです。


自分はそこまで深くは考えてなかった。ぼーっと観ていたからね。ぶっちゃけ、そこまで大衆演劇にハマっているわけでもないし。


ハマっていたのはうちの母ですから。


子どもの頃からずーっと見続けていたのは母親であって、自分はただの付き添い、添え物だった。


どうせ暇なんでしょ以前に該当する劇団にはプレゼントタイムだとか違和感を覚えていましたけど。


実はその劇団を母親に勧めたのは私なんですよね。


ゲスト出演でたまたま見かけた時、悪くないなと思ったのです。


立川、川越と2回ほど連れて行ったのですが、母親的にはプレゼントタイムとどうせ暇なんでしょで完全に無理だったみたい。


違和感しかなかったみたい。


私は母親に勧めたくらいですから、どちらかと言うと嫌いではなかったのです。カムイのことは。


都若丸も勧めたんですけどね。うちの母親には違和感でしかなかったらしい。私は嫌いではないですけどね。


あくまでもうちの母親が感じた違和感なので、自分ごとではないんですよ。


まあ、にわかの私に比べたら母親の方が年季が違いますから。母親には母親なりのアンテナがあったのだと思います。


私が感じ取った違和感はもう少し別のところでした。


大衆演劇界隈のブログを検索して、いくつか気になるブログがあって、その中でも自称プレミアムと今さらジローはなんか妙に違和感を感じたのです。


明らかに周りとは違うというか。異質というか。


他のブログはせいぜい写真を載せて良かったね程度で終わりなのです。あとはその日の舞台に関して雑感だとかを少し書く程度というか。


母親との会話のネタ探しのためにブログをちょくちょく見ていたのです。


自称プレミアムにしても今さらジローにしても結局のところ読んでてもなんの参考にもならないし、アクが強いだけで養分はゼロというか。それなのに妙に自己主張は強めだし。違和感でしかない。


大衆演劇のイメージをさらに混沌せしめてるというか。変わり者しかいないような発信というか。


同類とは思われたくないというか。


ノーマルな鉄道ファンが抱く迷惑撮り鉄みたいな感じに近いかもしれない。


西園寺界隈における旅人よっちゃんみたいなものですね。


なんでキレ味が鈍っているのかというと、それだけ関わりたくないからです。

こっちから近づいたわけでもないのに、気がついたら隣にいたみたいな。オカルトでしかない。


西園寺も旅人よっちゃんに関してはそのような違和感でしかないと思うよ。


気がついたら終身名誉顧問とか名乗ってるし。自称でしょ?自称。


プレミアムも繰り返しいってるうちにそういうものであるかのようにのさばるじゃないですか。


今さら時次郎も繰り返し言ってるうちにこの人元役者か、御意見番みたいにプリテンドするわけだ。


言ったもんがち、やったもんがちというか。


でもよーくみるとぼっちだったりしませんか?旅人よっちゃん然り。

ひとの事を批判ばかりして、気がついたら周りを遠ざけてしまっている。


クリティカルな意見ならばともかく、ただの私怨だったり憂さ晴らしだったりすれば、そんなもん誰が同調するねんという話なんだよね。


ターミネーター然り、ギャートルズ然り。


そもそも、例えとしても的確なのかよという話だったりもする。


大衆演劇界隈のことを憂いていて、いろいろ言うのは別にいいけれども。


奴らは結局は何をする、何ができるわけでもないんだよな。


ブログにしても所詮は自己満足の憂さ晴らしであり、単なるカタルシスに過ぎないのだろうし。


生産性もなければ、建設的な内容でもない。


ナラティブでもなく、ただの茶番に過ぎない。


インフルエンサーやアンバサダーになりたければナラティブたれ。


自身が発信する物語に周りを引き込め、巻き込めという話なのだ。


私怨でもなく、憂さ晴らしでもなく、魅力的なストーリーテラーになれよ。


どうせ暇なんでしょがなぜ滑ったのか。


そんな身も蓋もないことを言われたところで大半の観客にとってはどうでもいいことだからだ。


うちの母親にとってはどうせ暇だと言われたことは堪え難き屈辱だったみたいだけども。


そんなに目くじら立てるほどのことでもないのに。


そこに違和感を感じ取ったうちの母親はある意味凄いのかもしれない。


確かに冷静に考えると役者がいう言葉としては違和感しかないよな。いろいろあったにせよ。


自称プレミアム、今さらジロー。あのブログにはツッコミどころしかない。


他の人はどう捉えているのかは知らないけども、ブログというネット界隈の化石みたいなオールドメディアの隙間産業で異彩を放っているというか。良くも悪くも個性的というか。決して褒められたものではないけどね。


大衆演劇界隈を捻じ曲げる屈折点だと思う。


別にそこに拘ったところでネタとして面白いわけでもないし楽しいわけでもないけども、こちとら粘着されてるわけだからね。


嫌だ、不快だ、根本的に間違ってる、生理的に無理。


それくらいは主張してもいいかなと思った次第である。


旅人よっちゃんに粘着されてる西園寺もあれだけ有名になれば言いたいこともいえない立場だろうし、下手なこといえば余計に粘着されるだけだろうからね。しかも、フツーに怖いだろうし。


立場が変われば見え方も変わるのである。


今がシュンでした。ジャーニー。