落合陽一のヌルヌルが話題になってますよね。




nullの二乗でヌルヌル。nullとは空のことです。箱の中に何も入ってない状態ですね。


老婆のファイナルファンタジー。


料理が得意なジジイが書き溜めたレシピのメモバインダー。



やがて、バインダーはヌルになります。


このバインダーのメモはあくまでもこのジジイが生きてる限りに於いて有用なのです。


このジジイが無くなれば無用になります。ゼロではないけど空ですよね。


般若心経でいうところの、「色即是空、空即是色」というやつです。この世にあるものは全てのものは見かけだけで実体はない。常に変化し続ける。ゆえに、執着しても仕方のないという意味です。


一体、なぜこのジジイは怒ったのでしょうか?


大病を患い、寝たきり状態、メモがあっても料理を作ることはままならない。妻からすれば、もう用無しだと思ったのでしょうか。だとすれば、このババア、なかなかいい根性してると思います。


「あらあら、まだ必要だったの?どうせ暇でもあなた、もう料理作れないんだし、どのみちすぐに逝くんだし、もう要らないかと思って捨てちゃったわ。てへぺろ。」


ジジイからすればこのメモバインダーは家族との架け橋だったと思います。それを処分されたとしたら、このオヤジからすれば切ないですよね。虫の息にせよ、まだ生きてるわけですから。おそらく、生に対して執着していたのだと思います。



「おまえはもう、死んでいる。」


ひでぶー!!!!あべし!!!!


トキ・すでにジロリアンですね。



生への執念。


性への執念。




例えるならば、十三にあった木川劇場みたいなものです。既に存在してない劇場に対して未だに執着しているひとが中にはいるみたいですし。


かつて十三ミュージックという名前で十三という猥雑な街の裏のランドマークのひとつだったであろうこの場所は、最後の10年足らずは大衆演劇の劇場としてひと花を咲かせました。




でも、結局はヌルになってしまいました。跡地には何ひとつ残ってません。ゼロではないかも知れないけど、空です。そこにはいずれマンションが建つみたいですね。


大衆演劇とはヌルヌルなんですよ。かつて至る所にあったとされる劇場もセンターもヌルになりまくってます。


小岩も、柏も、福島も、広島も。どこもかしこもヌルヌルですよね。


役者もいずれはヌルになります。かつて舞台の上で花を咲かせていたであろう人たちも何らかのカタチで舞台に立たなくなればヌルになるわけです。


落合陽一はヌルに合わせてテトラレンマというワードを用います。ある、なしの二元論を超えて、存在するけど存在しないもの、存在しないけど、存在しないわけではないものとに大別しています。


ブルーハーツの「トレイントレイン」に「いいやつばかりではないけど、わるいやつばかりでもない」という歌詞がありますね。



木川劇場もある、なしを超えた概念みたいなものですよね。存在しないけれども、存在しないわけでもない。


カムイの塩対応も役者のドロンも橘菊太郎の性奴隷も同じようなものです。そんなことないとも言えるけど、ないとも言えないわけです。事実か無根かの二元論で切り捨てるのは賢明ではないと思います。真実はひとつとは限らないのです。



詭弁ではないですよ。自分が見えるものや感じるものが世の中の全てではないという話です。


女好きだと思っていた若座長が実はゲイだったなんてこともあると思います。知らんけど。


亡くなったひとなどもそんな感じではないでしょうか。長嶋茂雄とか中山美穂とか橋幸夫とか。人々の記憶の中で生き続けるとすれば、存在しないわけではないですよね。


ひとも建物も無くなったとしても完全に無というわけではないのですが、現実には上書きされているわけです。


そして、現在、夢洲で絶賛開催中の大阪万博も来月にはヌルになるわけです。建物はほぼ解体されて、会場跡地は公園として整備されるそうです。一応、夢洲駅近く200メートルほどは保存する予定らしいけども。


あの大屋根リングをまるでバウムクーヘンみたいに切り売りしたところで虚しいだけだと思いますけどね。その200メートルでさえ、いずれ持て余すことにもなりかねません。


夢洲の北側はIRとして整備されるそうです。リゾートホテルなどを建てるらしいけど、どう考えても滑る予感しかしません。万博はIRを整備するための方便に過ぎないのです。


万博の成否など実は一過性の問題に過ぎないんですけどね。


そもそも夢洲とは元々何のために作られたのか、そこから考えてみた方が良さそうです。


ちなみに大衆演劇が大阪で劇場が濫立しているのも一過性のことだと思います。東京で増やすことが難しいからとりあえず大阪で増やしてみたものの、既に持て余していますよね。観客動員数は横ばいか、減少の一途です。全国的にみれば、大阪周辺以外はオワコン化しています。


大衆演劇と大阪IR、どっちに愛があるか?


あるあ、るるる、愛がある、IR♪

by西田ひかる。


愛はIRを救うのか?


大衆演劇は愛などクソの役にも立ちません。愛よりお金が欲しい界隈ですからね。愛など腹の足しにもならないのです。


ミャクミャク愛だとか万博愛などやがてヌルになります。


ヌルヌルよりも、給水所の無料の水がヌルヌルだったことの方が気になりますけどね。なぜ冷たい水にしなかったのか。そこに愛はあるのかい?


大衆演劇同様、ヌルヌルの世界なのだと思います。


というか、大衆演劇とはヌルそのものですけどね。毎日毎日、ヌルヌルの繰り返しじゃないですか。残るようで残らない舞台、まさにテトラレンマの世界ですよ。


ミャクミャクと

回り続ける

夢芝居

騙し騙され

泡沫の舞


旅人よっちゃん、西園寺をオカズにして年甲斐もなく先っぽがヌルヌルでございます。



色即是空、空即是色。


自己肯定感は低いのにプライドが高い、大衆演劇界隈。

大衆演劇界隈が積んでる理由。