浅草木馬館、現在では大衆演劇のメッカだが、かつては安来節の劇場だった。
現在の建物は昭和30年代に建てられたものだが、木馬館自体はなんと大正時代から存在した。
かつての浅草花やしきの入り口を再現したもの。今は遊園地だが、戦前は動物園もあった。
浅草六区にあった電気館という映画館。
ドン・キホーテがあるところに大勝館があり、木馬館は現在地にある。昆虫館に併設されていた。
リッチモンドホテルのあたりには池があった。
水族館があり、木馬演芸館の文字。
安来節は出雲発祥で、大正時代の頃から人気を博した。大衆演劇の舞踊ショーは安来節からインスパイアされているのかも知れない。
大正15年4月21日付『都新聞』
浅草公園木馬館階上に世界的珍品!母と娘二人のミイラ来るの記事。
大正12年にメキシコ博物館から東京博物館に寄贈されたものの、輸送者が途中で死亡したため博物館まで届かず、そこから5年間行方不明だったミイラらしい。1600年前という年代、母娘(婦人と女児の二人)の組み合わせも一致する。
博物館に寄贈予定だったものが、巡り巡って浅草木馬館で見せ物になっていた。
木馬館の大衆演劇は浅草六区というかつての一大アミューズメントパークにいわば上書き保存されるようなカタチで現れたものだった。
すでに浅草六区は衰退していて、劇場や映画館も減少の一途を辿っていた。
大衆演劇はそもそも繁華街で上演するものではなく、下町のもっとぼろっちいところでひっそりと行われるものだった。
浅草と大衆演劇がマッチングしたのは両者がちょうどどん底だった頃だったと言えるかも知れない。
ブリトニースピアーズがパパラッチと付き合ったり、ノリで婚姻届を出したような感じ。
吉川ひなのとイザムが結婚したような感じなのかも知れない。
浅草と木馬館はうまく収まったものの、その後は浅草で興行を続けるために東京の大衆演劇を関西勢に譲ってしまったのではないか。それがきっかけで大阪の大衆演劇も復活した。
もし浅草がなかったら今の大阪の大衆演劇もここまで持ち堪えられなかったかも知れない。
今のスタイルが定着して既に40年以上になる。もうすでに出し尽くした、やり尽くした感がなくはない。今以上、これ以上なにかやろうとしたら、あとは配信くらいしかなさそうだが、それは大衆演劇のほぼ全否定に通じるような気がする。
大教室での人気講師による生授業がウリだった代ゼミが衰退したように。
配信でいいのであれば、別に大衆演劇である必要性ないからね。
大衆演劇でできることがこれ以上もうないのではないか。現状維持できるのか、持ち堪えることができるのか。緩和ケアにシフトしているのではなかろうか。
なにが流行るのかわからないし、もしかしたら、大衆演劇がちいかわみたいにブレイクすることがあるかも知れないけども。
藤井風みたいにBBAにバズるかもしれないし。
藤井風はCoachellaで間違って照明倒して割ってしまったらしい。そうしたら、ファンが割れたガラスの破片を記念にと喜んでもらっていったとか。
藤井風が演出でわざと倒れたら、「風さん、大丈夫?」と騒ぎになったとか。
そんな茶番劇にも付き合ってくれる熱狂的なファンがいる藤井風。
まるで都若丸みたいじゃないか。
藤井風は都若丸なのか?都若丸が藤井風なのか。
大衆演劇を藤井風にしてしまえ。
シロセみたいにしてもドン引きされるだけなので、それはやめた方がいい。
そう、ぼくがSで、あなたがM、じゃなかった、Nとかいうアレ。
磁石のように客を吸引できたら大衆演劇も左うちわなんですけどね。
カムイでも集客できるくらいになれば大衆演劇も安泰なんですけどね。
貧乏暇なしですから。カムイが望むように暇じゃないからね。
カムイが藤井風になればいいのだ。
ところで木馬館のミイラは結局どこに行ったのか?
梅沢富美男のファンたちはどこに行ったのか?
たぶん、全員ミイラに…








