国分太一は加害者だったはずなのに、いつの間にか国分太一が日テレというオールドメディアの被害者みたくなってませんか?


高市早苗の失言がいつの間にか立憲民主党の岡田克也の質問の悪意にすり替えられているかのように。


大衆はもはや何が正しいのか分からなくなっているのではないか。メディアリテラシーは大事ですね。


国分太一も岡田克也もトリックスターに過ぎないということではないでしょうか。トリックスターとは出オチみたいなものです。劇団美山における後見のアレみたいなものです。ガキ使における山崎邦正みたいな感じ。かつての出川哲郎みたいなものですね。


つまり、親分を守るための捨て駒というか、汚れ役、切られ役みたいなものですよ。


なにか不都合なことがあれば、批判の目を何処かに逸らすことを考えます。誰かのせいに擦りつけることで論点や問題の本質をずらすためです。


組織とは組織を守るためには悪人をでっち上げることもございます。そいつに捨て石になってもらうことで本部を守るためですね。


国分太一はよくわかりません。とりあえず、本人は納得いかないからなにか物申しているみたいです。謝罪会見といいながらいろいろと注文をつけているみたいですし。日テレサイドは聞く耳持たないスタンスみたいですけど。


外野である大衆からすれば問題の本質、論点が実に見えにくい。なんで国分太一が叩かれているのかと考える人が出てきて不思議ではございません。セクハラにせよ、パワハラにせよ、あくまでも噂ですからね。憶測だけでひとを叩いては行けません。


そうはいうものの、やましいことが全くなければ、俎上にのぼることはないと思うのだ。現場からも疎まれていたのだと思う。大衆演劇界隈における例のブログみたいに。


あのブログ、うざくないですか?やたらと自分の名前を連呼して、オレを見ろと言わんばかり。なんて腕組みオヤジの自己満ブログなんざわざわざ読まなアカンねん。おっさんは黙って隅っこのほうでサッポロ黒ラベルでもチビチビ飲んでいればええねん。


まあ、別にどうでもいいけど。プライベートが充実していればそもそもあんな文体にはならないと思いますし。


国分太一にしろ、高市早苗にしろ、どっち側から見るかによって見え方も変わってきますよね。


国分太一がやらかしたのか、国分太一がはめられたのか。


高市早苗が総理としての器でないのか、高市早苗はよくやっていると見えるのか。あばたもエクボですからね。たかしのえくぼでした、ではないですよ?


裏金問題からは目を逸らし続けている高市早苗ですけど。


そもそも、松下政経塾出身の政治家がちょっとおかしいという意見もございます。

パナソニックですからね。パーなのかも知れません。グーではなさそうです。


オネエみたいな維新の代表、与党になった途端に手のひら返し。

維新から除名された3名は維新の執行部の態度に反対していた。


にも関わらず、自民党の会派にほいほい入っていった。長いものには巻かれていった。

自民党の数合わせのためならばなりふり構わないスタンスもどうかと思うけど、こちらの三名も節操ないと思います。生き残るために必死なのはわかりますけど。


年末の紅白歌合戦、紅組が勝つか、白組が勝つか。


紅白歌合戦みたいなノリで与野党がなあなあにやられては困るんですけど。


紅白歌合戦は別にどっちでもいいのです。楽しければ。エンタメですもの。


国会はエンタメではございません。真面目でやってください。大衆演劇みたいなノリでやらないでいただきたい。茶番劇では困るのです。



「権力が、一度ゴロツキの手に渡れば、すべての人にとって、災厄となる。そうなると、あらゆる善行は、決して、悪行に勝てなくなる。」

           ——魯迅


「もし、ある人の周りがゴミだらけなら、考えられるのは二つの可能性しかない。その人が“ゴミを拾っている人”か、もしくは、“その人自身がゴミ”だということだ。」

           ——魯迅


たまきんもたまきんだ。


大衆演劇の御祝儀と自民党国会議員の献金、どっちが上なんだろう?