5/4~5/10日覚え 今日のひと言ー星發星宿。「シルクロード幻想~光と影」に心よせて…… | 左藤無憂樹―生きる命をつなぐ蓮の絲……

左藤無憂樹―生きる命をつなぐ蓮の絲……

この流転する娑婆世界に、重荷を背負いながらも、
懸命に道を尋ねる心魂に、微細ではあっても、
生きる命をつなぐ蓮の絲……。

然(さ)ればこそ、
生きているよろこびも、心を塞ぐ哀しみも……
ともどもに、心にとどめて、
この娑婆世の道を歩いております……。

2020年(令和2年)5月10日-335号
☆・・・・‥…‥─━━─‥…‥…─━━─‥‥…・・・・☆


枯れ果てて、散るのではありません。

 

この世は、かりそめの宿-

 

ならば-春さらば-と、すがしく散る、

 

万朶の桜のひとひらにこころ学びたいものです。

 

 

今までも、このように生かされ、

 

そして、生きて参りました。

 

 師 承真尼婆子の後ろ姿を追いつ、

 

 婆子の踏み跡を行きつ戻りつ……。

 


ひたすらに生きようする、

 

盲目的意思を感じながらも、

 

深遠な真理を未だ識り得ない我が身の、

 

自分の愚かさに、

 

明けることのない夜……「無明長夜」を憶います。

 


だからこそ、人は心の遍歴と軌跡の中で、

 

心の樹海を彷徨い歩くとも、

 

無明長夜を照らす生きる灯火を、

 

 

心の旅を開く鍵を、

 

人生の道すがらに求めようとするのです。 

 

 

 

☆ 左藤無憂樹─生きる命をつなぐ蓮の絲……☆彡


vol.00335 2020年5月10日(日)配信 



「遣唐船」1976
  「遣唐船」1976年

 

 


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 ☆彡・最新の今日のひと言

 


★…2020年5月10日 今日のひと言

 

─……河西回廊 果てしなく……

◆いのちを詠ふ……佛教短歌

 


★…2020年5月9日 今日のひと言

 

─……響く錫の音 ラサ遥か……

◆いのちを詠ふ……佛教短歌

 


★…2020年5月8日 今日のひと言

 

─……流砂の海を 玄奘往かん……

◆いのちを詠ふ……佛教短歌

 


★…2020年5月7日 今日のひと言

 

─……晨昏の 巡礼道は……

◆いのちを詠ふ……佛教短歌

 


★…2020年5月6日 今日のひと言

 

─……訪(おとず)る人よ こころ留めよ……

◆いのちを詠ふ……佛教短歌

 


★…2020年5月5日 今日のひと言

 

─……砂海灘の 小河墓は……

◆いのちを詠ふ……佛教短歌

 


★…2020年5月4日 今日のひと言

 

─……われ哀しみの 涕落つ……

◆いのちを詠ふ……佛教短歌

 

 

 

  ☆彡・ 憶いでの小筥から……今日のひと言

 

 

★…2016年7月17日 今日のひと言

 

─朝な夕なに 色即是空……

◆人生の旅の途中……。

 


★…2016年7月18日 今日のひと言

 

─空即是色……人間死ぬこと以外、皆……かすり傷……

◆人生の旅の途中……。

 


★…2016年7月19日 今日のひと言

 

─時の忘れ子になっていたようです……。

◆命を愛おしむ……

 


★…2016年7月20日 今日のひと言

 

─小さな気づきが生まれたら、それが小さな悟りになるのです……

◆命を愛おしむ……

 


★…2016年7月21日 今日のひと言

 

─煩悩即菩提 天降(あも)る星  幾億劫の……

◆命を愛おしむ……

 


★…2016年7月22日 今日のひと言

 

─天鳥の冠羽のように……ねむの花……

◆命を愛おしむ……

 


★…2016年7月23日 今日のひと言

 

─雲の果て

◆人生の旅の途中……。

 


★…2016年7月24日 今日のひと言

 

─夢だけは捨ててはいけません……。

◆風に吹かれて視えるもの……

 


★…2016年7月25日 今日のひと言

 

─身近なところでこそ……

◆しあわせの象徴である青い鳥……。

 


★…2016年7月26日 今日のひと言

 

―波の中に、波があるような……

◆人生の旅の途中……。

 

 

 

 

☆彡・こころの磨き砂

 


★…2016年7月27日 今日のひと言


─夢のいのちの芽は、次第に成長して……

◆命を愛おしむ……

 

 

 

 

  ☆彡・編集後記

 


★………春山淡冶(たんや)にして笑うが如く……

            「臥遊録」より

    こんな時は、

    ため息よりも、深呼吸をひとつ、ふたつ……

 

 

 

 

☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆

 


シルクロード(絲綢之路)/喜多郎


「シルクロード幻想~光と影」 

「星に発し、星に宿す。晨昏兼行す……」『日本後紀』巻十二より


  音が出ますので、それでもよろしければ……

 

   https://www.youtube.com/watch?v=xEbBZwQ0e0U

 

 

 

 

 


「月明の砂漠」2002年
「月明の砂漠」2002年

 


 シルクロードは、「長安に始まり、長安に終わる」とも云われる。

空海が入唐した、当時の長安は凡そ人口百万人といわれ世界中の

民族、あらゆる文化、思想など国際都市として賑わい を見せていた。

仏教寺院も九十以上数えられ、道教、イスラム教、ゾロアスター教、

マニ教、ネストリウス派キリスト教など、 様々な種類の寺院が認め

られた。中国の長安(現在の西安)を起点に、西へ進路をとればペル

シャ、ローマに至り、南に向かえばインド(天竺)、東に道を辿れば、

朝鮮から日本、奈良に帰着する。この日本へ至る大陸文化の伝播の

道は、仏教という衣装をまといながら、飛鳥白鳳期を経て奈良時代に

及ぶ、いわゆる仏教東漸渡来の道でもあった。


 インドに源をなす仏教がガンダーラに伝わり、やがて中央ア ジ

アの東西を結ぶシルクロード(絲綢之路)を経由して、中国に伝播

した東アジア系の北伝仏教。かつてその道を、弘法大師 空海が

海を渡り、西へ仏法を求めた。伝持の七祖までに伝わる仏陀の教

えが、如何にして八祖に伝授されたのか、その教えを八祖は日本

へ持ち帰られた……。文字に表すと簡単であるが、平安時代初期

に編纂された勅撰史書によると、桓武天皇の延暦十一年(七九二

年)正月から、淳和天皇の天長十年(八三三年) 二月に至るまで

の四十年間の国の歴史を漢文で記した『日本後紀』巻十二には、

苦難の道が窺い知れる記述が遺されている。


 延暦二十三年(八〇四)五月十二日、摂津国難波を四船団より

なる遣唐船が出帆した。
当時、遣唐使船は、海上安全の祈願を大阪の住吉大社で行い、
海中より出現されたという「住吉大神」を航海安全の神として 舳先

に祀り、住吉津から出発、大阪湾に出て後、難波津に立ち寄り瀬

戸内海を経て、那大津今の福岡県福岡市博多区に至っ た。

 

最後の大海を渡る準備をして後、出帆。その後は、当時の資料か

ら、西暦七〇二年から西暦八三八年までの航路は、五島列島か

ら東シナ海を横断する、日本近海で対馬海流を横断して西進する

いわゆる南路ルートを取ったと推定されている。
時に、この南路ルートは対馬を経由する場合もあり、朝鮮半島西

海岸沿いを経て、やがて遼東半島南海岸から山東半島の登州へ

至るルートであった。

因みに、北路ルートは西暦六三〇年から西暦六六五年までの航

路であったが、朝鮮半島の情勢により消滅 したと見なされる。


 しかしながら、何ゆえに、風雨に見舞われ、中には遭難する船も

ある命懸けの航海を、あえてこの季節に選んでいたのかで あるが、

遣唐使は朝貢使の意味合いを持ち、元日朝賀に出席する為には

十二月までに唐の都、長安へ入京する必要があった。
気象条件の悪い六月から七月頃、日本を出航し、帰路も、気象条

件の良くない季節に帰国せざるを得なく、故に、大海原渡海中の

難破水没、遭難が頻発したと推定されている。


 第一船には大使の葛野麻呂、副使の石川道益のほか、空海、橘

逸勢ら二十三人が乗り込んでいた。前年、 九州の竈門山寺に滞留

していた最澄は、途中で第二船の菅原清公を判官とする船に乗り、

七月六日に肥前国松浦郡田ノ浦を発った。
しかし、翌七日の午後八時頃に、第三船と第四船は信火に応ずる

ことなく、連絡が絶えてしまった。それから葛野麻呂の第一船は暴

風で帆を破られ、舵を折られてしまったので、実に三十四日間も海

上を漂流し、遥か南方の福州長溪県赤岸鎮より 南の海口に八月

十日に到着した。(略)福州までの路は山谷 が嶮隘で荷物を担って

行くことが困難ということで、廻航して十月三日に福州に到着した。

この時、空海が大使に代わり 書いた「大使の為に福州の観察使に

与ふるの書」のこの一文は、詩文集『遍照発揮性霊集』巻五に収め

てある。数多ある空海の遺文のうちでも、最も優れた ものの一つ

である。


(略)十一月三日に福州を発ち長安に向った。

『日本後紀』巻十二に、「此州去レ京七千五百廿里。星發星宿。

晨昏行。」 とある。


「此の州は京を去ること七千五百廿里、星に発し、星に宿す。

晨昏兼行す」とあるように、文字通り昼夜兼行の強行軍であったこ

とが窺われる。(略)苦難の旅を続けた葛野麻呂一行は、この年の

十二月二十一日、京兆府万年県長楽駅(現在の陝西省西安市一

帯)に着いた。二十三日に、内使の趙忠が飛竜家細馬二十三匹を

率いて出迎え、酒脯(干し肉と酒)をもって、一行の長途の旅の疲れ

を慰労した。外賓用大宿舎である国立の鴻臚寺が満員であった為、

その後、一行は長安の東門にあたる春明門を入り、官宅(公館)で

ある宣陽坊に到着、翌八〇五年二月二十五日に唐朝の第十二代

皇帝徳宗が崩御した為、藤原葛野麻呂大使が三月に長安を辞すま

では、一行は暫くの間、喪に服したとある。実に、福州(赤岸鎮)より

唐の都長安まで、実に二四〇〇キロを踏破したことになる。

 長安までの、この「空海・長安への道」いわゆる「空海入唐の道」

は、同道を精査すること四十数回に上る静 慈圓高野山大学教授に

より、二〇〇四年の空海入唐千二百年の年に「空海ロード」と命名

され、巡礼の道として開放されている。


 延暦二十三年(八〇四)五月十二日、摂津国難波を四船団よりな

る遣唐船が出帆した後、唐の都、長安(現在の西安)に到着したの

は、辛苦実に七か月に及ぶこの年の十二月二十三日であった。

この苦難の道程は、到底筆舌に尽し難く、ただ心に響いてくるのは、

空海三十一歳の齢の時に、命を賭して法の道を西に求め、波濤を

越えて、伝持の七祖までに伝わる仏の教えを日本へ持ち帰られた

という、この事実である。


 かつて空海が海を渡り、西へ仏法を求めた苦難の道。

いわゆる 「空海ロード」……。

『日本後紀』巻十二には、「星に発し、星に宿す。晨昏兼行す」と明

記されている。このような苦難の殉難道を、どのような憶いで長安

へと歩まれたのか。福州(赤岸鎮)より、都の長安(現 西安)まで、

実に二四〇〇キロあまりの巡礼の道に憶いを馳せる時に、黎明ま

だ暗き、頭上に輝く星々に道しるべを取りながらの晨昏兼行のお旅

立ちと、露宿に仰ぎ見られたであろう天降(あも)る星々、満天の夜空

に瞬く群れ星たち、月の満ち欠けに不安よりも、大いなる希望の御

境涯であられたものと推うのである。


 かつて仏教は、インド仏教を忠実に受け継いだチベットのラサへ。
中国の僧侶が法を求め、黄河を越えて西に向かい、仏陀の教えを

伝えようと、数多のインド(天竺)僧が長安への道を辿った
仏教東漸の道。天竺、ブッダガヤへの錫の音を鳴らすこの道は、
永遠の巡礼の道でもある……。文字に表すと簡単ではあるが、
歴史の光りと翳の織りなす壮大なロマン、ユーラシア大陸の
シルクロードの帰着点である東側で繰り広げられた、一大抒情詩
ともいえる。


 体系的に、密教には二つの流れがある。
金剛頂経系の密教は金剛智というインド僧が不空に伝え、不空
は恵果に伝えた。大日経系密教は善無畏というインド僧が伝え、
 善無畏の弟子玄超が恵果に伝えたといわれている。恵果阿闍梨
は青龍寺で千人もの弟子があったといわれる。
真言八祖の第七祖である恵果は、二つの密教体系を一身に受け
た初めての人で、空海の師である……。
空海の渡唐目的は密教の伝法を受けることであったとされている。
「秘密曼荼羅教付法伝」には、梵語(サンスクリット語)を醴泉寺の

インド僧般若三蔵と牟尼室利三蔵に学んだ、とある。

 

 民族の覇権と興亡、歴史の爪痕ととも、壮絶な流砂の海の砂塵

の彼方に消えていった人々の刹那の歩みとしても、無窮の宇宙の

摂理の中で、諸行無常、夢幻泡影ともいえる、かつての栄耀栄華

を、今は満天の星々の瞬きが、悠久の歴史を静かに見守るばかり

である。


  「空海ロード」への畏敬の念ともに、千二百年の時空を超越した

シルクロード・絲綢之路への光りと翳への憶いは果てしなく、邯鄲の

夢とも見紛うばかりである。既述したように、凡そこの日常の暮らし

の中に於い ては、到底役に立たないようことばかりで、せめてもう

少し、 違った道を選んでいたのであれば、別な人生の道もあったの

かもしれないが、これも縁の道ゆえに、生かさせて頂いていることに

日々感謝するばかりである。

 

 夜半、執筆をしながら、このような事を止めどなく思案しているので

あるが、心が癒されるのは、以前に備忘録として書き遺している数少

ない楽曲の中でも、喜多郎氏の絲綢之路「シルクロード幻想~

光と影」である。 『日本後紀』巻十二の遺文に見られるところの、

「星に発し、星に宿す。晨昏兼行す……」から、深く魂に呼び掛けら

れ、胸の裡に迫る宇宙の氣を感じる。


 『日本後紀』巻十二に遺される一文には、涕落つる憶いである。
「星發星宿。晨昏行。」空海は、このような果てなき苦難の殉難道を

如何なる憶いで長安へと歩まれたのか。実に二四〇〇キロあまりの

巡礼道に憶いを馳せる時に、黎明まだ遠き頭上の星々に道しるべを

取りながらの晨昏兼行のお旅立ちと、異郷の露宿に仰ぎ見られたであ

ろう 満天の夜天に瞬く星々たち、広大な中国大陸の地平の彼方へ落

ちる、悠遠で、静寂な夜天に流れる、星々の儚いひと筋の光の光跡 に

大いなる希望を描きながらの御境涯であられたも のと推うものである。

 

               了 (後の為に此れを遺す)

 


 


閑話休題……


 時空を越えたシルクロードの旅……。

 今、さらなる西を目指し、西安(長安)の大雁塔を背に、夢は昊を

翔ける。黄河を越えて、河西回廊を西に、敦煌から崑崙の雪線を

越えて、仏教を忠実に受け継いだチベットのラサへ。


そして天竺、ブッダガヤへの錫を鳴らすこの道は、永遠の巡礼の
道……。中国の僧侶が法を求め、黄河を越えて西に向かい、仏
陀の教えを伝えようと、数多の天竺僧達が長安への道を辿りまし
た。不空三蔵は南インドの出身で、善無畏は大日経をインドか ら

中国に伝えたとされます。


金剛頂経系の密教は金剛智というインド僧が不空に伝え、不空
は恵果に伝えたとされます。大日経系密教は善無畏が伝え、善
無畏の弟子玄超が恵果に伝えたといわれております。
 

空海の師である真言八祖の第七祖である恵果阿闍梨は、この
二つの密教体系を一身に受けた初めての人だったのです。
 空海の渡唐目的は密教の伝法を受けることであったとされて
おり、事実「秘密曼荼羅教付法伝」には、梵語(サンスクリッ ト語)

を習醴泉寺のインド僧般若三蔵と牟尼室利三蔵に学んだ とあり

ます。


 敦煌からカシュガルに至る西域南道は、広大なタクラマカン砂漠

と崑崙 山脈をはるか南に望む流砂の道です。

崑崙の険しい峰々の 向こう側には広大なチベット高原が広がり

ます。敦煌から西へ のびる太古の シルクロードを辿る、天山南

路(西域北道)と 西域南道に分岐する要衝路にある楼蘭王国を

巡る旅は、流砂の 道を砂塵と砂嵐が舞うタクラマ カン砂漠を旅

人は二十日間ほど 道しるべのない砂嵐舞う沙漠の中を彷徨う

がごとく歩かなけれ ばなりません。


彷徨える湖ロプ・ノール、塩沢の幻影とともに、旅人が 最初に

出逢うオ アシスが、今は砂に埋没された楼蘭王国です。
「小河墓地」が出迎えてくれるはずです。

 長安(今の西安)から、蘭州へと。文字通り、黄河の西をゆく
河西 回廊。街の北側を流れる黄河を越えて、その河西回廊を
辿り敦煌を目指します。敦煌から、カシュガルに至る西域南道、

天山南路も、タクラマカン砂漠を挟みながら、天山北路はトルフ

ァンを分岐とし て、コルラからクチャ、西域最西端の町カシュガ

ルで合流して、シルクロードの長い旅は終える のです。

長安からおよそ3,700キロあまりの、流砂の海を彷徨うように歩

く砂塵の旅です。

このユーラシア大陸を東西につなぐ十字路を昔の旅人は、一

年以上もかけて歩いたのです。


 シルクロードは東西交易の路ですから、仏教東漸の道でな
くとも、歩く目的は異なりますが、『日本後紀』巻十二に遺 され

ているように、「星に発し、星に宿す。晨昏兼行す……」
これと同じものだったと憶うのです。


 満天に瞬く星々。音もなく地平の彼方へ落ちるように、静寂な

夜天に流れる星々の儚いひと筋の光の光跡に、大いなる希望
の軌跡を描きながら、旅人は、愛する人々の貌を憶い、流れ星

に願いをかけ、この旅が無事に帰着することを祈ったことでしょ

う。 洋の東西、人の憶いは変わるものではありません。
 
 人間というものは、心の裡に推し量ることの出来ない苦しみ
を宿し、悩まなければならない存在だということ……。
 時代の変遷とともに、そうした事どもについての原因や、 解

決方法や考え方がすっかり変わってしまったとしても、この四

大不調の問題は解決し難く、悩みも苦しみも際限なく広がっ て、

その問題が根本的に解消された事はまず無いのです。


 人間は、経験のみで学ぼうとするには、限界があるのも事実
です。 元々無いものを、有るように錯覚を起こすところに、 問

題解決の焦りと苦しみが生じるのです……。


  抗っても、到底消滅しきれない悩みと苦しみの中に在って、
その果てしなさを自覚し、その中に我が身を任せきる事が、
煩悩を絶つ事に繋がるのではないか、と憶うものです。

 いつの世も、一人ひとりに生きる辛さは、真正面から問いかけ

てまいります。

しかしながら大切なことは、「今を、如何にして生きるか」
只そのことにあります。いわば人生の命題です。


 未来は現在の延長であり、人間は、学んだそれを、この先の
人生の道へと生かすことができるのです。
後悔するだけで留まっていては、前には進めません。

これより先の道が見えてきた齢にもなり、せめてもの、数多の

教えを我が身に活かし、迷うのも、悟るのも、不肖この身ゆえに、
私自身を超えて生きる、命の命題の道を生き切りたいと憶ってお

り ます。 合掌 (後の為に此れを遺す)


 


参考文献


高木訷元 著.『空海の座標』.存在とコトバの神秘学.

慶應義塾大学出版会,2016年

山折哲雄.上山春平.正木 晃 著.『空海の世界』.佼成出版社

,平成十四年

宮坂宥勝 著.『空海』生涯と思想,筑摩書房,1984年

静 慈圓 著.『空海の行動と思想』(第2版).高野山大学,2005年

 

< 所蔵作品本 >から転載。


『 平山郁夫シルクロード展 』
平山郁夫シルクロード展図録より 1976年 
編集 朝日新聞社東京本社企画部

 
平山郁夫~シルクロード~奈良への道
平城遷都1300年記念特別展図録 – 2010年
平山郁夫 (著), 平山郁夫シルクロード記念館 (編集)


平山郁夫展~シルクロードの心– 1989年 
平山郁夫展 (著), テレビ朝日 (編集) 


平山郁夫の世界 – 2007年 
平山 郁夫   (著)

 
再興第94回院展全作品集~
追悼!平山郁夫画伯 – 2009年 
日本美術院 (編集) 出版社: 日本美術院


平山郁夫作品集 平山郁夫美術館– 2000年 
平山郁夫美術館 (著, 編集)

 

平山郁夫 (現代の日本画)– 1990年 
平山 郁夫 (著),    川口 直宜 (編集)


 


☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆



「流砂月光」2007年
「流砂月光」2007年

 

 

5月10日  ……河西回廊 果てしなく……

 


黄河越え


河西回廊


果てしなく


西域道に


星は輝き

 


2020年5月10日  詠


 

☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆



「鹿野苑の釈迦」1976年

「鹿野苑の釈迦」1976 年

 

 

5月9日  ……響く錫の音 ラサ遥か……

 


崑崙に


響く錫の音


ラサ遥か


巡礼道は


天竺に通じ

 

2020年5月9日  詠

 


☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆


 

「流沙浄土変」2000年

「流沙浄土変」2000年


 

 

5月8日  ……流砂の海を 玄奘往かん……


 


発菩提


天山を越え


砂塵立つ


流砂の海を


玄奘往かん

 

2020年5月8日  詠


 

☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆


鄯善国妃子(楼蘭の王女)」1976年 
鄯善国妃子(楼蘭の王女)」1976年
 

 

5月7日  ……晨昏の 巡礼道は……

 

晨昏の


巡礼道は


遥けくも


夜天の星は


無窮に煌めく

 


2020年5月7日  詠


 


☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆

 


「敦煌鳴沙」1985年
「敦煌鳴沙」1985年

 

 

5月6日  ……訪(おとず)る人よ こころ留めよ……

 


寂として


禅定の窟


一期終ゆ


訪(おとず)る人よ


こころ留めよ

 

2020年5月6日  詠

 

☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆



「楼蘭の夕」1993年

「楼蘭の夕」1993年


 

5月5日  ……砂海灘の 小河墓は……

 


楼蘭や


砂海灘の


小河墓は


流砂に埋む


胡楊木哀し

 

2020年5月5日  詠
 

 

☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆

 



「祇園精舎」1981年


 

5月4日  ……われ哀しみの 涕落つ……

 


絲綢路


われ哀しみの


涕落つ


祇園精舎の


錫打つこころに

 


2020年5月4日  詠

 

 


・‥……─━━…‥憶いでの小筥から…‥…━━─…‥‥・


2016年7月17日


朝な夕なに 色即是空……

◆人生の旅の途中……。

 


夏草や


胸に染みゆく


ひぐらしの


朝な夕なに


色即是空

 

2016年7月17日   詠

 


・‥……─━━…‥憶いでの小筥から…‥…━━─…‥‥・


2016年7月18日


空即是色……人間死ぬこと以外、皆……かすり傷……

◆人生の旅の途中……。

 

この世に生まれきた時に、

背負ってくるのは、

娑婆世間を渡る智慧の杖と、

その人の身の丈にあった、


背負い水とも呼ぶいのち水……。


どこでどう歯車が狂ったのか、

どこで辻を間違ったのか……などと、


自分を責めても、仕方がありません。


今までの、来し方を顧みる時に、


この世の中というものは、

そういうものだと腑に落としこむこと……。


人間死ぬこと以外、


皆……かすり傷……


そう自分に言い聞かせれば、


空即是色


眼の前に続く、


人の世の道も、


多少とも、広がって見えてくるものです。合掌

 


・‥……─━━…‥憶いでの小筥から…‥…━━─…‥‥・


2016年7月19日


時の忘れ子になっていたようです……。

◆命を愛おしむ……

 

夏木立ち


葉陰より見ゆ


夏雲の


やさしき静寂


しばし微睡む

 

2016年7月19日     詠

 

茶臼山古墳に至る、この西側の山道は、

以前、飼っているモルモットのリリーのために、


タンポポやら、クローバー、笹を採るために、

リリーを散歩させながら、

何度も通ったことのある山道でした。


リリーを4月18日に亡くしてからというもの、

この道を通ることもなくなっておりました。


東京から戻ってより、

雑務に追われておりましたが、


茶臼山古墳から望む、

比叡山、比良、鈴鹿、遠く、伊吹山を見たくなり、

供も連れず、小茶臼まで歩きました。


三月という時の流れは、山の姿を変えておりました。


整備された道を、しばらく登って行くと、

どこからか、法師蝉の鳴き声が聞こえてまいります。


参道の傍には、ねむの木の大木が……。


夏空に向かって、

美しい鮮やかな紅色の花を、

枝先に咲かせています。


やさしいねむの木が、

花咲く季節になっていたのですね。


私はすっかり、

時の忘れ子になっていたようです……。合掌

 

 


・‥……─━━…‥憶いでの小筥から…‥…━━─…‥‥・


2016年7月20日


小さな気づきが生まれたら、それが小さな悟りになるのです……

◆命を愛おしむ……


 

それでも、砂時計の砂粒は、

音もたてずに時を刻み、


人の都合など待ってはくれません。


人は皆、

この暮らしの中で、

折り合いをつけながら、


幸せ、不幸せか……等と、


つぶやくこともなく、

心を乗り越えていくのです。


せめて、

この日々の暮らしの中で、


いのちの畑を耕しつつ、

ささやかな喜びをかみしめ、


胸の裡に、

小さな気づきが生まれたら、

それが小さな悟りになるのです……


このいのちを生き尽くして、


心魂は、やがては、

彼の岸へと還ってゆくのです……。合掌

 

 


・‥……─━━…‥憶いでの小筥から…‥…━━─…‥‥・


2016年7月21日


煩悩即菩提 天降(あも)る星  幾億劫の……

◆命を愛おしむ……

 

天降(あも)る星


幾億劫の


瞬きは


いのちの流れ


菩提の聲か

 


2016年7月20日    詠

 


夏の夜の月と、星々です。


遥か紀元前、


お釈迦様も拝されたでありましょう、


空の道に、


夜から朝まで、


この天の門に輝く銀河の星々……


幾たび道を見失ったにしても、


この娑婆世界に生きる以上、

 

煩悩即菩提


人の世の波騒(なみざい)に、


こころ揺らがず……。

 

この摂理の聲を、


こころを鎮めて、


聴いてまいりたいと憶うものです。合掌


 

・‥……─━━…‥憶いでの小筥から…‥…━━─…‥‥・

 

2016年7月22日


天鳥の冠羽のように……ねむの花……

◆命を愛おしむ……

 


天鳥に


咲き継ぐ冠羽


淡紅の

 

夜の息風に

 

葉は閉じ眠り

 

2016年7月22日    詠

 


夜の闇が迫る頃、


葉は眠るように萎れ閉じ、


ねむの花は、


淡い紅色の美しい花を咲かせます。

 

細長い流麗で、


鮮やかな彩りの花芯を、


私は、天鳥の冠羽のように憶います。

 

夏の花に多くみられる、


一日花のようですが、

 

鈴鹿の山ぎわがようやく、


明るくなり、

 

琵琶湖の水面に、


光の道がかかるころ、

 

ひと晩の命を終えてしまう……という、


ねむの木の花。


いのちの不思議を憶います。合掌

 


・‥……─━━…‥憶いでの小筥から…‥…━━─…‥‥・

 

2016年7月23日


雲の果て

◆人生の旅の途中……。

 


葉隠れに


流れゆきける


雲の果て


視えない風に


打ち吹かれゆく

 

2016年7月23日    詠

 


・‥……─━━…‥憶いでの小筥から…‥…━━─…‥‥・


2016年7月24日


夢だけは捨ててはいけません……。

◆風に吹かれて視えるもの……

 


深き杜


ゆるい坂道


たどりゆく


風の韻聴き


来し方偲ぶ

 

2016年7月24日   詠

 


 些細なことを争いあっても、


心が波立つだけで、


終いには、争い疲れて、


彼、我共に、


八苦の娑婆の海に世流れしてしまいます。


人は、心次第で、


修羅にも、仏にもなるものです。

 

この忍土に在って、


難題に目を逸らしている限りは、


 心の安心は得られないのです。

 

道が遠い―とばかりに、


近場の露地に入りこんでは、


ますます道に迷い、


逃れようとしても、心をかき乱されるばかりで、


途方に暮れるばかりです……。


孤絶のなかにあって、


困難な状況に翻弄されようとも、


 夢だけは捨ててはいけません……。合掌


 

・‥……─━━…‥憶いでの小筥から…‥…━━─…‥‥・

 

2016年7月25日


身近なところでこそ……

◆しあわせの象徴である青い鳥……。

 

しあわせは、


未来を追いかけて、

見つけられるものではありません。


ましてや、


過去へ探し求めても、


かつての踏み跡さえ、

探すことはできません。


今、生きているこの場所にこそ、

 

身近なところでこそ、


しあわせは息づいているのです。合掌


 

・‥……─━━…‥憶いでの小筥から…‥…━━─…‥‥・

 

2016年7月26日


波の中に、波があるような……

◆人生の旅の途中……。

 

波の中に、


波があるような、

 

しかも、


波の峰が高く、


気を抜けば、


そのうねりのなかに揉まれてしまう……


世の中が変われば、その都度に、


「世間をうまく渡る」術を身につけたいものですが、


憶うままにならないのが、世の常。

 

しかしながら、


今の自分を否定しては、


波の峰さえも見失ってしまいます。


境遇を嘆かず。


この時代の波の流れに流されず……。合掌


 

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◆「こころの磨き砂」


2016年7月27日


夢のいのちの芽は、次第に成長して……

◆命を愛おしむ……

 

この世の争いは、

わずかな損得のために、


心を暗くして

互いにいがみあい、憎しみ合っているのです。


どうしたものやら、


人は、初めの頃の、

ひたむきで一途な心を、


いつの間にか、忘れてしまうのです……。


無常なればこその人生ですが、


夢を抱けば、


夢のいのちの芽は、


次第に成長して、


やがては、希望という花を咲かせるのです。合掌


 

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◇編集後記


春山淡冶(たんや)にして笑うが如く……

               「臥遊録」より

 

 空の高みまで透きとおった、さわやかな美しい空……。


明るい陽射しの中で、

風にそよぐ木々の若葉が、まぶしい季節となりました。


「山笑う」は春の季語ですから、


暦の上では立夏を迎える今、

少し時期が過ぎてしまいましたが、


里山も若芽を吹いて、樹々の種別に葉の色が、

それこそ彩りがとりどりに変わってきて、

春山淡冶(たんや)にして笑うが如く……を感じております。


世の中は愁いごとばかりですが、


こんな時は、

ため息よりも、深呼吸をひとつ、ふたつ……


愁いる心まで吹き飛ばしてくれるようです。


ご自愛なさいますよう。拜


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※記事に掲載されている文章、和歌、画像は既に出版されている
ものもあり、無断転載・引用はご遠慮下さいますようお願い申し
上げます。どうぞ、おくみ取りくださいまして、
よろしくお願いいたします。