2月25日(土)、杵築市山香町と日出町の境にある鹿鳴越(かなごえ)連山を訪れました。
この鹿鳴越連山は、2022年に大分県で初めて日本山岳遺産に認定されました。九州では6番目だそうです。
メンバー: 2人( kun otu )
コース:
山田湧水―30分→殿様道入口―50分→鹿鳴越東峠―30分→古城山―35分→板川山―10分→七ツ石山―10分→鹿鳴越西峠(経塚山分岐)―35分→石切場―20分→山田湧水
注)所要時間はコロコロ隊独自のものです。
鹿鳴越連山は、鹿鳴越西峠と鹿鳴越東峠を結んだ稜線上にある山々の総称です。今回は、鹿鳴越東峠から西峠へと進み、古城山、板川(いたご)山、七ツ石山、の順に登っていきました。
山田湧水の駐車所に車を停めて、スタートです。黒い屋根が水を汲むところで、名水を求めて訪れる人が多いようです。
登山口までは一般道を歩きます。民家の脇や杉林の中を進みます。
車道に出て高速道路をまたぎ、住宅地横のコンクリート舗装路を山の方に登ります。
長野登山口に着きました。看板は「殿様道入口」となっています。ここから山道に入ります。
この道は、日出藩主が、日出から山香を経て立石へと行くのに利用していたことから「殿様道」と地元の人に言われてきたそうです。
石垣の跡も残っています。真っ直ぐなポールのようなものは、伸びた竹です。
石垣よりも木の根っこの方が優勢になって、時の流れを感じます。
登山道のあちこちで、鹿のイラストの入った赤いリボンや標識を見かけます。「ひじ町ツーリズム協会」の方が整備して下さっているようです。
ツバキの大木があります。
単彩色の山に、彩りを添えます。
石造りの道の跡も‥。駕籠や人力車が通っていたそうですよ。
古道に沿って登っていきます。
倒木が上に伸びて、生命力を感じます。
鹿鳴越東峠に着きました。百合野山という美しい名前の山へは10分で行けるそうですが、今回は寄らずに古城山の方へ進みます。
なだらかな稜線歩きは楽々です。
古城山へは稜線から5~10分、左の道に入ります。
急登を経て、古城山山頂に着きました。木が多くて眺望はききませんが、さらに道を進むと‥。
別府湾が見えます。日出の漁港のようですが、あいにくの曇天で霞んでいます。
古城山を後にして稜線に戻り、次なる山に進みます。
40分弱で板川山に着きました。別府方面が見えます。空模様が心配になり、ここで昼食休憩をとります。
昼食後、三山目の七ツ石山に向かいます。
鹿鳴越連山の主峰、七ツ石山到着です。名前の通り大きな石が沢山あります。広い範囲で別府湾が見渡せます。
右にうっすらと高崎山が見えます。山頂碑横に、磁場が動くというパワーストーンがありました。kunちゃんがコンパスで試したら、針が振れていました。
通ってきた古城山、板川山も見えます。
別府方面の山を見ながら、下っていきます、
鹿鳴越西峠です。
今回は行きませんが、経塚山への周回ルート図があります。経塚山は、610mという低い標高では珍しいミヤマキリシマの群生地です。山頂近くまで車で行けるため、5月のシーズン中は賑わいます。
下山途中に「ザビエルの通った道」という道標が数カ所で見られました。1551年、宣教師フランシスコ・ザビエルが、豊後の大友宗麟に会うため、この道を通ったとのことです。
しばらく行くと、角張った石が山積みにされている独特な光景に遭遇しました。
積み上げられた石の横を通ります。
「一目城 旧石切場」という看板がありました。説明書きによると、ここから日出城(暘谷城)が見渡せることから「一目城」と呼ばれたこと、「石切場」は江戸時代から昭和初期にかけての採石場だったとのことです。切り出された石は、参勤交代の時代に大阪港の灯籠にも使われ、強風で他の灯籠が壊れてもここの石で作った灯籠だけは大丈夫だったそうです。
城壁のように高く石が積まれている所もあります。
歴史の深さを感じながら、遠い時代に想いを馳せて歩きました。
「石切場」から下ること20分、山田湧水に戻ってきました。隣に段々畑があったんですね。上から見て気がつきました。
山田湧水の近くには、アサギマダラの飛来地もあるそうです。
四季を通じて楽しめそうな鹿鳴越連山でした。