吉田恵輔監督最新作。

 

6歳の娘・美羽が行方不明になって以来、懸命にビラを配って情報を探している両親(沙織里と豊)。失踪当日に沙織里がアイドルのライブにでかけていたことからネットではバッシングされており、沙織里の精神状態は日に日に悪化していた。地元のテレビ局は彼らに密着し定期的に特集を組んでいたが、ここしばらくは目新しい情報もなく人々の興味も他に移りつつあった。そんな中、担当記者の砂田は美羽と最後に一緒にいた沙織里の弟・圭吾へのインタビューを命じられるのだが……。

 

息子が中学生になった今でも、帰宅するまでは心配してしまう。子どもを失うというのは想像すらできないほどの恐怖であり、沙織里たちの追い詰められていく姿に共感しない親はいないのではないかと思う。

 

本作が描いているのは、人々の加害性だ。ネットで無責任にバッシングし、印象で犯人と決めつけるネットの向こうの人々。傷つけるとわかっているのに煽情的な演出を強要するテレビ局の上層部。そういったわかりやすい加害だけではなく、無関心だったり、心配する顔をしながら内心迷惑がっていたり、そういった見えにくい加害をも何層にもわけて描いていく。

 

沙織里を演じる石原さとみは確かに熱演なのだが、一部ちょっとやりすぎなシーンもあったように思う。それでも彼女がこの役に挑むにあたっての覚悟は十分に伝わってきた。そして、それに増して素晴らしかったのが父親役の青木崇高。ホテルの外でタバコを吸いながら涙ぐむシーンは、ここ数年の日本映画の中でも抜群の演技だった。それまで高テンションに翻弄されていた観客の気持ちも、あそこで「子どもを失ってとてもつらい」というシンプルな苦しみにストンと落ちるような構成になっていて見事だ。圭吾を演じた森優作も感情が見えにくい演技がとても良かった。

 

中村倫也が演じる記者役の砂田については、かなりひねりのある役どころだと感じた。確かに彼は罪の意識に苛まれ、上司にも食ってかかり、両親にも心から同情する。しかし、本作を観て「砂田が唯一の良心」といった感想を抱くことには疑問だ。だって、彼は結局のところVTRで被害者家族を傷つけ、ネット民を焚き付けてしまっているんだもの。彼もまた結果においては加害者なのだ。むしろ、彼の姿こそが大多数の人間の姿なのかもしれないとすら思う。悲しい事件が起きた時、心から同情し、ときには自分のことのように苦むけれど、何もできない圧倒的大多数の人間。ビラをもらっても「気の毒だねえ」とテーブルの端の紙の束の上に置き、捜索ボランティア募集のお知らせを見ても参加することはないほとんどの人々。「だって、忙しいから」「自分が行っても何をしていいかわからないし」そんな言い訳をしながら、決して行動しない大衆。ネットでバッシングを行っている人間なんて一部なわけで、それを看過して「気の毒」と言っているだけの人間が大半なのだ。砂田はそういった大多数の人間を象徴しているのではないか?観客は砂田を見て「この人は良い人だなあ」と思うべきではなく、彼自身が痛感していた無力感と罪の意識を、自分自身への糾弾として共有しなければいけないのではないだろうか。本作の良心は彼ではなく、臨月なのにビラ配りを志願したミカン農園の後輩や、こっそりビラを増刷して持ってきてくれた印刷屋さんといった「行動する人」なのだと私は思う。

 

彼がカメラマンに、「最終的に何を望むか」といったことを聞かれるシーンが印象的だった。寄り添っているようで、寄り添えていない。一緒に希望を持っているようで、とても冷静に俯瞰して諦めている。そんな砂田の真の姿が暴かれたと同時に、それはテレビの前でニュースを見ている善人たちについても同じことだと感じた。我々はきっと、あのシーンを見て砂田と同じようにギクリとするべきなのだ。

 

前半では畳みかけるように苦しみを、後半では少しずつ救いのある描写を入れていく構成になっている。また、全体を通して非常に重いわけだが、ちょいちょい笑いの要素を入れているところがいやらしくない程度に技巧的で良い。いくらでも泣かせる演出はできるはずだが、そのタイミングをかなり絞っていて、しかも表現を抑えているところにも好感を持った。また、ビラをわざと丸めて物撮りをするカメラマンといった細かい描写が巧みに配置されていて、一本調子のストーリー展開になっていないのも◎

 

美保純と石原さとみと森優作ってちゃんと血がつながっているように見えるし、美羽役の子も小さい時の石原さとみに似ていて、そういうキャスティング上の説得力もかなり感じる作品だった。