ケラリーノ・サンドロヴィッチの戯曲を他の演出家が演出するという「KERACROSS」の第五弾(ラスト)。最後は書下ろし作品をケラ自身が演出した。

 

どこかの国のお屋敷。国内では東西で内戦が起きていて、遠くから常に砲弾の音が聞こえているが、屋敷の中は平和そのもの。そこでは軍需産業で財を成した当主(寝たきり)とその秘書(愛人)、投手の妻、2人の娘、そして家政婦が暮らしていた。当主は傲慢かつ吝嗇であり、堂々と愛人を作り家に金を入れないという状況だったため、妻は嘆きアルコ―ル中毒に陥っている。長女は作家だが鳴かず飛ばずで、かつての夫は徴兵逃れたのため行方知れず。次女は無職で、長女あてに送られてくる長女の夫からの手紙を書くし読んでいた。そんなある日、長女のファンだという女性が突然現れて……。

 

まだ観ていないが、映画『関心領域』とテーマはほぼ重なる作品。塀のすぐ向こうには悲惨な現実が広がっていて、しかもその恩恵を受けて暮らしている人々が、それらには一切の関心を払わずに日常生活を送っているという異常さが全編を満たしている。

 

とにかく豪華なキャスティングで、しかも当て書きなのでそれぞれの魅力が爆発していた。まず登場するのは犬山イヌコで、この物語と観客を繋ぐ重要なポジションを軽やかに演じていた。第四の壁の越え方もサラッと自然でさすがの力量。一瞬にして劇場を掌握してしまう匙加減には脱帽だった。一家を内部から客観的に見つめる存在であり、少しずつ変化していく他の人物たちの姿の中で唯一まったく変わらないのがポイント。観客の視点を常に「戦禍のすぐそばにあるお屋敷」へと戻してくれる重要なキャラクターだ。

 

続いて次女を演じた鈴木杏。コンプレックスを内に秘め、大人として成長する機会を得られずに鬱屈とした若い女性のキャラクターを極めてリアリティを持って演じていた。かといってトゲトゲしいばかりではない本来の人の好さみたいなものも感じさせる絶妙な役作りで魅力的だったし、高低を自在に使い分けるセリフ回しもさすがだ。

 

長女を演じる宮沢りえは、本人の意図に関わらず注目を集めてしまうタイプの人物。カリスマ性と無意識から来る傲慢を滲ませつつ、やはり悪い人ではないというキャラクターだ。作家でありながらその興味は自分の身の回りのものや自分自身にしか向いておらず、戦禍であるという時代性には無頓着なところが無邪気であると同時に空恐ろしい。

 

母親役の峯村リエは、1幕と2幕でガラッと印象を変える役どころ。1幕では無力な妻だったのが、2幕では嬉々として兵器による殺人をビジネスとして語り、家族のことは蔑ろにするキャリアウーマンへと変貌を遂げる。しかし、その芯にあるのは優柔不断で他者に依存せずにはいられないという弱さであり、その部分を一貫して感じさせた芝居は見事としか言いようがない。彼女の終盤の叫びこそ、本作のキャラクターが「戦争を初めて自分ごとに感じた瞬間」であり、おそらく本作でもっとも重要な瞬間のひとつだった。

 

長女の担当編集者を演じた堀内敬子は、リアルとアンリアルの人物を演じ分けるという難しい役。全登場人物の中で最もシビアで冷めた目を持った人物であり、唯一外の世界に身を置いている存在だ。心のどこかでずっと世間知らずで狭い範囲の興味だけで生きている姉妹を突き放しているような冷たさも感じれば、良き友人として関わろうとしているのも感じる……つまりは、何を考えているのかまったくわからない人物を的確に演じていた。

 

個人的なMVPは、長女のファンを演じた小池栄子。外国(それとも田舎?セリフで言っていた気もするが忘れちゃった)から来たと思われる謎の女性で、長女への距離感がおかしい。そのまましばらく屋敷にいついてしまうわけだが、最も奇妙で異質な存在だと思われた彼女が、実は最も聡明で現実的な人物だと判明していく過程が面白い。中性的でクィアな雰囲気も湛えつつ、やりすぎにならないユニークな芝居が本当に上手で、とても魅力的だった。おそらくシリアスな過去を経てきているのだろうと思わせる空気感もあり、戦時中の外の世界をうっすら纏っていた気もした。

 

父親の秘書で2幕では母親の二の腕となる役を演じた水川あさみは、他のキャストと比べると圧倒的に舞台経験が足りないというハンデがあり、やはりそこは感じざるを得なかった。役には合っていたのだが、他のキャラクターのようにもう少し奥の部分まで表現するには至らず。堀内敬子のような意図的な「何を考えているのかわからない」ではなく、本当に何を考えているのかわからなかったのが残念だった。

 

最後の最後まで人間関係や創作といった狭い範囲のことのみに興味が向き、戦争についてもチェスの駒を動かすようにしか体感できていない家族。その一方で、男性だけではなく女性や子どもまでもが徴兵されているというおぞましい「外の世界」の情報が断片的に観客に伝えられ、屋敷の内側と外側とのあまりの違いに不安が増していく。恐怖のピークは最後の瞬間なわけだが、『関心領域』と同様に「いま」私たちに突き刺さる作品であるのは疑いようがない。あの家族の姿は、遠い国で戦争が起きていても無関心な我々の姿そのものなのだから。