昨年ヨーロッパで鑑賞した時の感想はこちら。

 

怒涛のセリフ(海外だから日本語字幕もなし)と夥しい数の登場人物のために、振り落とされないようにするのがやっとという状況で鑑賞したのだが、このときはそれでも「めちゃくちゃ面白い」という感想を強く持った。日本公開が決まり、ようやく日本語字幕で鑑賞!しかもIMAXレーザー!!

 

昨年鑑賞時はリスニングに苦労したとはいえ、さすがに話の流れはわかっていたので前半はけっこうウトウトと……(すいません)。細かい理論的な個所以外は大体リスニングもできていたんだなあと思いながら答え合わせのような気持でのんびり観ていた。

 

で、例のトリニティ実験の「ッドーン!!」で覚醒して、そこからはしっかり観たわけだが(←おい)、後半の聴聞会と公聴会のシーンではのめりこんだ。というのも、昨年鑑賞時はこの2つのシーンの「証言」のリスニングが一番難しくて、なんとなく味方、なんとなく敵、なんとなくこんなこと言っている程度の理解しかできなかったからだ。公聴会はわかりやすかったんだけど、聴聞会で次々に人が出てくるのが難しかった。そもそも「あれ?この人誰だったっけ」ってなるしね。キャラクターが整理されているという意味でも、2回目ではしっかりと理解することができた。

 

初見時と本作への印象が大きく変わることはなったのだが、決定的にあのときに自分が理解できていなかったのは、オッペンハイマーの傲慢さ。ちょいちょい失礼なことを言っているというニュアンスがイマイチ把握できていなかったので、ストローズを単なる逆恨み野郎だとしか思えなかったのだが、(確実に逆恨み野郎ではあるものの)これは反感買うかもなあというオッペンハイマーの一面を認識できたので、自分の中でストローズの人物像がより深まった気がした。

 

本作は限りなくオッペンハイマーという人物のみにフォーカスしているので、良い面も悪い面も含めてオッペンハイマーという人間を通して語られている。天才で研究者としてのカリスマを持つが、鈍感で身勝手で詰めが甘く、それがちょいちょい傲慢さにもつながってしまっている男。冒頭の毒林檎の描写に彼の弱さと洒落になっていないヤバさが凝縮されている。後で後悔はするものの、気持ちが昂ると突っ走ってしまうというオッペンハイマーの危うさ。そして、その後悔とも本気で向き合えていない(戦いから逃げてしまう)という弱さ。そんな人間の栄誉と悲哀を描き切っているのが本作だと感じた。

 

面白いのは、オッペンハイマーを描きながら、同時に周囲の人間の強さと弱さも浮き彫りにしていく後半の怒涛の展開だ。最も強いのはオッペンハイマーの妻であり、聴聞会での彼女の答弁は圧巻(あれは昨年全然聞き取れなかったシーンだったので、今回わかってよかった笑 共産主義という概念についての討論なんてわからん!めちゃ早口だし!)。そして、最も弱いのがストローズで、彼の名誉を徹底的に叩きのめして映画が終わる。オッペンハイマーが初めてしっかりと功罪を突き付けられた瞬間と同時に。オッペンハイマーもストローズも、原爆という大きすぎる存在に圧倒されたという点では同じなのだろう。一人は名誉への渇望と嫉妬に狂わされ、一人は激しすぎる罪の意識と、科学以外の人間たちに対する自分自身の(ある意味で)不誠実な対応に狂わされた。これは完全なる伝記映画なのだ。

 

それを踏まえた上で、原爆被害についてもう少ししっかりと描写すべきだったか否かという意見については、「そうだったらもっと良かった」と私は思っている。オッペンハイマーに対して、もっと強烈にそれを突き付けてもいいのではないかと。ノーランは最後のシーンでそれを示したのだろうが、まだだ。まだ足りない。被爆国の人間としてはそう感じてしまう。それは同時に、日本が第二次世界大戦を描くときに日本の支配下に置かれた各国が感じている感覚と通じるはずだ、ということも忘れてはならないだろう。