映画『パラサイト』の舞台化作品。脚本・演出は鄭義信。

 

映画版の感想は下記。

 

 

正直言って、かなり苦痛だった。原作の解釈、演出、演技とすべてが合わなくて何から言えばいいのか……。記録のためにも書いておこうと思う。なお、これはあくまでも私の個人的な感想にすぎないので書くが、マイナスなことばかりになるはずなのでイヤな気分になりたくない人は回れ右をお願いします。あ、あとネタバレしてます。

 

・演技

 

まず、最もわかりやすいところで演技。真木よう子が下手なことは予想していたのでともかくとして(それにしても酷かったのだが)、語り部の役割を担う中心人物である宮沢氷魚の芝居がかなりキツかったのが残念。冒頭から、怪しい関西弁と訓練されていない発声、彼の雰囲気に合わないキャラ設定で(そしてそれを自分のものにできていないチグハグさ)不安MAX!!!

 

この2人以外はツボを押さえた好演だったものの、真木よう子が出てくると停滞するリズム(滑舌が悪いからセリフもよくわからない)、宮沢氷魚が出てくると発生する共感性羞恥(どうにも素人っぽさが抜けていなくてムズ痒い)のせいで、最後までストレスが溜まった。特にラストの宮沢氷魚の一人芝居に関しては、もっと短くするか途中で(幻影としての)家族を登場させないとダメだったんじゃないかと思う。ポテンシャルがないのかどうかまではわからないが、とにかく現時点では力量が役の重さに伴っていない。

 

 

・設定と解釈と演出

 

現代の韓国から、1990年代の神戸に設定が変わっている。だから、スマホは出てこない(当然、映画にあった便器に座って電波を探すシーンもない)。映画では豪雨による災害だった部分が、阪神大震災に変わっている。ノリはベタな関西ノリのギャグ多め。

 

最も大きく変わっているのが、映画では地下にいた夫婦(いわゆるリスペクトおじさん夫婦)。夫婦という設定が「家族」になっていて、家政婦をしていた母親、寝たきりの夫、借金苦で逃げてきた息子という座組に変わっており、全体を通して最もエモーショナルなシーンが家政婦である母親(キムラ緑子)の長台詞に集約されていた。

 

他にも細かい改変は色々ある。最初にバイトを紹介してくれた友達が出てこないとか、金持ちの息子の設定年齢が上がっている上に登場しないとか(だからインディアン要素も消えている)。で、最初に貼った映画『パラサイト』の感想を読んでもらえればわかるのだが、私が映画『パラサイト」で重要だと思ったポイントがほぼそのままゴッソリと消え去っていたのだ。もうね、私の中の映画『パラサイト』と、鄭義信の中の映画『パラサイト』はまったく違う作品なんだと思う。受け取ったものや響いたポイントがことごとく異なっていたんだろうね。

 

まず、鄭義信は『パラサイト』を家族の対比だと捉え、私は夫婦の対比だと捉えていた。私は、親友のような同志のような半地下夫婦、抑圧と依存によって結びついた金持ち夫婦、そして性交渉含めて最も夫婦として結びつきが強い地下夫婦という3組の夫婦を対比させて物語を把握していたし、子どもがいな地下の夫婦が最も強く心身ともに絆が深かったというのが鮮やかだと感じていたので、彼らの関係を母子に変えてしまったのには心底驚いた。キムラ緑子のモノローグの芝居は凄かったし確かにエモーショナルだったが、「そりゃ、守りたいものが息子ならそうなるだろうよ」と醒めてしまった。

 

また、半地下の家族は全員とても能力が高いというのを私は重要視していたのだが(彼らは「できない」のではなく、能力を発揮することができない境遇にいるだけ)、舞台版では母親は家事が苦手で白ワインとロゼの違いも知らない人間になり、映画版では超有能で、扱いが難しい少年を実際に好転させていた妹は、色仕掛けで思春期の若者を手なずける女性になっていた。金持ちの妻についても、映画では夫の抑圧的な態度に怯えながらなんとか家庭内をコントロールしようとする女性として描かれ、彼女の苦悩もクローズアップされていた気がするが、舞台版では抑圧されている印象は皆無。夫に言い返すこともできるし、そもそも純粋だが賢くない女性として表現されていた。これは演技の問題ではなく、脚本にしたときの解釈の問題だと思う。金持ちの娘も、息子と自分との扱いの違いに鬱屈としていた映画版の要素は消え去り、わがままだが天真爛漫なキュートな女子高生になっていた。キムラ緑子が演じた家政婦だけは映画よりも深みのあるキャラクターになっていたが……それも「母親」にしたからだしなあ。

 

豪雨を阪神大震災に変えたことについても疑問はあるが、私はあのときに阪神にいなかったので確かなことは何も言えない。あそこまで誇張された状況だったかはともかく、無事だった高台の地域と被害が大きかった地域で意識の差が生まれたことは確かなのだろうし。

 

他にも言いたいことは沢山あるのだが、とりあえず今はこの辺で……また後日に付け足すかもしれない。


※追記


そういえば重要なことを忘れてた!


最後、半地下父が金持ち父を殺すシーンがボンヤリしていて不満だった。映画では、半地下父の細かい表情や金持ち父が鼻をつまむ様子などがじっくり映されていたが、舞台では舞台奥と手前で芝居が分散してしまっていて、刺した瞬間がまったく目立たず。必然的に、刺すまでの心理的な流れがよくわからなくなってしまっていた。けっこう致命的だったと思う。