三谷幸喜の有名作、四半世紀ぶりの再演。

 

劇団『笑の大学』の座付き作家である椿は、次回作の喜劇台本の上演を認めてもらうため、警視庁検閲係の向坂の元を訪れる。戦時中の喜劇上演そのものを認めない向坂は、椿の台本に無理難題をぶつけ続けるが……。

 

完璧。完璧な演劇。

 

時間だけが経過し、空間は一切変化しない。同じ部屋で繰り広げられる、同じ2人の人間の会話劇。その中に、喜怒哀楽のすべてが詰まっていた。

 

内野聖陽演じる向坂は、滑稽なまでの真面目さを持った「笑ったことがない」男。対する瀬戸康史演じる椿は、人当たりが良さそうな好青年で「笑いのことばかり考えてしまう」男。喜劇台本の検閲と世間話を通して、彼らは対立し、邂逅し、共闘し、いつしか同じ方向を目指し始める。そこまでの愉快な展開や異様なまでの盛り上がり。劇場全体にうねりを生みだすほどの圧倒的な吸引力。内野の変幻自在かつ柔軟な表現力と、それに一歩も引けを取らない瀬戸の攻防から一瞬たりとも目が離せなくなる。

 

そして、物語は突然急転するわけだが、そこまでの盛り上がりが大きかったからこそ、叩きつけられるショックは最大になる。狼狽える観客をよそに、舞台はさらなる次元へと突き進んでいくのだ。そう、本作が提示せんとする反戦のメッセージへと。

 

この作品は、出演する2人の役者の力量はもちろんのこと、彼らの生み出すリズムとうねりに観客がピッタリとついてくるという確信がないと成立しない。私たちはいつのまにか観客ではなく当事者のような気持にさえなり、椿や向坂と同じように笑い、怒り、戸惑い、泣く。観客をとことんまで信用しているからこそ完成する作品なのだと思う。

 

私は三谷幸喜の作品をそれほど多く観たことはないが。これまで観たすべての舞台が傑作でその都度感銘を受けてきた(映画はがっかりすることが多いが)。その中でも、『笑の大学』はそのシンプルさと完璧な構成において代表作といわれるのも納得の大傑作だと思う。映画版も悪くはないが、観客と一体となって作り上げられる緊張感があって初めて完成する演劇だと思うので、舞台で観た方がいい。やはり印象が違う。一生に一度は観ておく作品。