トム・ストッパードによる戯曲。オーストリアに暮らすあるユダヤ人一族の50年にもわたる軌跡を描いた演劇作品。

 

20世紀初頭ウィーン。キリスト教徒と結婚したヘルマンは事業に成功している。彼の親族の集まりから舞台は幕を開ける。

 

非常に登場人物が多く、事前に相関図を見ていた方がいいと言われていたのにも頷ける。「叔母の夫の妹の子ども」とかセリフで言われてもわかんないよね笑

 

とはいえ、めちゃくちゃおもしろかった。50年にわたる物語とはいっても、50年をべったりと描いていくわけではなく、数年ごとに切り取って描いていくスタイル。しかも、大抵は親戚の集まりのシーンになっている。パッと世代が変わり、さっき子どもとして出てきた子が大人になっていたり、戦死していた後だったりするわけだ。

 

しかも時代は20世紀初頭から戦後にかけて。最初は裕福な一族として描かれていたのに(それでもユダヤ人として差別はされていたが)、ホロコーストなどに翻弄されどんどん不幸が襲っていく様がビビッドに描写されていく。

 

当然、舞台らしい仕掛けも満載で、最初の世代での伏線が最後の世代のシーンで回収されたりするので、ボーっと見ているわけにはいかない。基本的には群像劇なのであらゆるところで色々な出来事が起こるわけで、そのひとつひとつに集中しながら鑑賞することが求められる。巧みだが疲れる芝居である。

 

最初は若かった人物が場面を経るごとにどんどん見事に老けていくので、とても自然に鑑賞できた。また、無駄なセリフがひとつもなくて、まったく集中力が切れることがないので独特の没入感があるというか……大きな時代のうねりの中に身を投じている感覚というか……なんとも不思議な鑑賞体験だった。時系列に沿ってストーリーは進んでいるのに、最初のシーンも2番目のシーンも、ずっと「そこ」にある感じ。セットが大きく変わらないということもあるのだが、一族が生まれては死んでと左右に流れていくのではなく、どんどん積み重なって全員が「そこにいる」という感じがしたんだよね。

 

なので、戦後に訪れるラストのシーンが非常に印象深くなる。トム・ストッパード自身が投影されていると思われる若者を含め3人の人物が出てくるのだが、対話の中で立ち現れる意識の違いだけではなく、確かに「そこにいる」のに無自覚でいる人間の違和感が異様にクッキリと浮き彫りになっていた。もちろんそれは歴史を直接は体験していない我々自身に向けられた問題意識でもあるわけで、「知らないのだから仕方がない」のではなく、「そこにいる」「確かにそこにあった」ことに気づこうとすれば気づけるんだというメッセージにも感じた。

 

舞台は日本でも上演されていたので観たかったんだよねえ(東京でしかやらないんですもの!)。でも、今回映画館で観ることができて良かった。

 

※カバー写真は映画.comからお借りしました。




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