待ってましたあああああ!スティーブン・スピルバーグ版ウェストサイドを公開初日に!ストーリーは割愛。(知らない人は1961年版を観ましょう。要はロミオとジュリエットのNY版です)

 

キャスティングは設定人種に厳密に、時代考証は確実に(多分)、シャーク団まわりはスペイン語も多用して(スペイン語には字幕入らず)、リアリティを追求して作られたリメイク作品だった。セリフもかなり追加されていて、時代背景やメインキャストの心情がより鮮明に。もちろんその代償として失われた要素もあるが、総じて成功したリメイクだといえるだろう。

 

まず、上空から始まるユニークなカメラアングルのオープニングの衝撃。瓦礫の中からジェット団が姿を現すまでのたっぷりとしたシークエンスがガッツリと観る者を惹きつける。お馴染みのプロローグに合わせて練り歩く少年たちとキレのあるダンス。「ああ、ウェストサイドにまた出会えた」という喜びで胸がいっぱいになった。

 

ニューヨークの街並みというロケーションをふんだんに利用した映像構成は「イン・ザ・ハイツ」に通じるダイナミックさがあり、マリアとトニーの恋愛模様にたっぷりと時間を割くことでストーリーにさらなる深みも出た。昔からのファンを満足させ、初めて観る人への優しさも忘れないさすがの手腕。ぺちゃくちゃ喋っていた周囲の客も(私がいる国では喋る人が多くて……)、「トゥナイト」の重唱シーンでは水を打ったように静かになっていた。エンドクレジットが終わるまで席を立たない人も多く(この国では珍しくて……)、長い余韻を楽しみたくなる傑作になっていたのは確か。

 

とりあえずメインキャストの印象の後で、ネタバレありで詳細を綴ろうと思う。

 

マリア役のレイチェル・ゼグラー。透明感がある歌声はもちろん、まだ残るあどけなさの中にある隠しようのない意志の強さが良かった。トニーに「決闘を止めてきて」なんてマリアが頼まなければ良かったんじゃね?と昔から思わずにはいられない私からすると、マリアが「幼くて気が強い」というのはかなり重要な要素で、あまり深く考えずにそういうこと言っちゃうよねーという説得力があって良かった。あと、恋に恋している感じもよく表現できていたと思う。

 

トニー役のアンセル・エルゴート。「なんでアンセルくんなのかな?」と前から疑問だったが、やっぱり「なんでアンセルくんだったのかな?」という疑問は払しょくされず。歌は上手なんだけれどバリバリに上手い!というわけでもなく、ちょっとアホに見える。といっても、アホに見えること自体は間違いではない。元不良でがんばっているものの、マリアと恋に落ちて見境がなくなってしまう子どもじみたキャラクターではなるのでね。ジェット団をつくった元カリスマには見えないけれど、オリジナルと比べて現メンバーから信頼されている風でもないし(リフ以外にはだけど)、敢えてなのかもしれない。ただ、やっぱりアンセルくんじゃなくても良かったんじゃない?という気はしないでもない。トニーの歌むずかしいからさあ。めちゃくちゃ歌が上手い人に歌ってほしいじゃん!!(願望)

 

アニタ役のアリアナ・デボーズ。良い。1961年版のリタ・モレノに比べると歌がやや弱いものの、演技、身のこなし、ダンスはかなり良い。ベルナルドに対してはコケティッシュな部分もありつつも、凛とした存在感と包容力をパッと見から感じさせてカッコいい。

 

ベルナルド役のデビッド・アルバレス。背は低めだが色気がすごい!!なにあれ!まだ27歳ってどういうこと!?ジェット団に比べるとダンスシーンが短めのシャーク団だが、ダンスの切れはさすが。歌も問題なし。登場しただけで明らかにカリスマ!リーダー!という空気で、聡明で強いボクサーという設定の説得力がハンパない。あとマリアとちゃんと兄妹に見える。

 

リフ役のマイク・ファイスト。予告を見たときから「リフが只者じゃなさそう」とは感じていたが、リフが本当に!最高に!良い!童顔だがけっこう背が高く、見るからに屈折した生い立ちを感じさせる寂しげな雰囲気。ややレトロな響きがある高めの声。ちょっとした動きにも溢れるダンスセンス。自信満々なときと不安なときのメリハリをしっかりとつけた芝居。1961年版のリフおじさんだったじゃないですか(←失礼)。それに対してちゃんとまだ子どもなんですよ。で、ベルナルドと比較するとちょっと頼りなくて。ジェット団の方が全体的にガキっぽいんだけど、リフは親の代から続くものもあるし、周りよりもとびきり頭もキレるからリーダーになっているんだけど、ちょっと脆そうな感じが出てるんですよ。わかります??本当に最高なんで。おそらく将来ヘドウィグ演じるに違いないので(予言)。今までもDEHとかで十分に注目されてきたらしいものの、恥ずかしながら私は初めて知ったのでこれから生涯をかけて応援していこうと思います(誓い)。(興奮のあまり、ですます調になってしまった)

 

バレンティナ役のリタ・モレノ。今回のウェストサイドではドクの店のドクがバレンティナというプエルトリカンの女性に変更になっている。演じるのは1961年版アニタ役リタ・モレノ。もうこれだけで胸が熱くなるわけだが、あの名曲「Somewhere」を完全に彼女のソロ曲にしているのも大きなポイント。バレンティンに「プエルトリカン」「女性」としての重要な役割を与えたことで、今回のウェストサイドストーリーの輪郭がよりクッキリとしたのは明らかだ。

 

【以下ネタバレあり】

 

 

 

 

 

 

 

①曲順に関して

 

1961年版映画からも、舞台版からも曲順を変更している箇所がいくつか。最も大きいのは「クラプキ巡査どの」と「クール」だろう。舞台版では「クール」は1幕(決闘前)、「クラプキ巡査どの」は2幕(決闘後)。1961年版では「クラプキ巡査どの」はけっこう序盤、「クール」は決闘後。スピルバーグ版では両方とも決闘前にきている。

 

まず、「クラプキ巡査どの」は決闘の場所を聞き出そうとジェット団のメンバー(リフより下)が警察署に集められていて、そこで(色々あって)放置されて暇……というシチュエーションでスタート。この曲に関しては私は舞台版の位置が好きで、決闘後に動転しながら逃げたジェット団のメンバーがギリギリの緊張感と不安の中、異様なテンションに陥って歌うというのがしっくりくる。というわけで、スピルバーグ版は緊張感が皆無だったのであまりピンとこなかった。

 

あとこれは全体にいえるのだが、メインキャラクターの描写に重きを置いていてジェット・シャークとも各メンバーの掘り下げは浅くなっているため、誰がアクションで誰がA-ラブで、それぞれどんな性格で……みたいなことはほとんどわからないまま最後まで行く。(1961年版もそうだったけれど)各キャラの特徴がよくわからないままだとこのナンバーの魅力は半減する気がするし、そもそも参加メンバーが少なかったのでちょっと物足りなかった。

 

続いて「クール」。これは相当大きい変更が加えられている。決闘前に拳銃を入手したリフたちの元に「決闘はやめろ」と伝えに言ったトニーと、リフたちが揉めるシーンでのナンバーになっていて、トニーがリフたちに「冷静になれ」と言う意味合いに。個人的な感想だが、これはいただけなかった。

 

まず、トニーのパフォーマンスがいまいちなのと、ジェットガールズも含めてジェット団総出演で踊るビッグナンバーのはずが、男子数名だけの小競り合いになっっちゃってるんだもの。ジェットガールズの見せ場を丸々カットってどういうことよ……。振付もロビンスのものはほとんど残っていないし、好きなナンバーだけにガッカリしてしまった。しかも、拳銃持ってはしゃいでるだけなのに突然やってきたトニーが「クールになれ」って……「いや、お前こそ落ち着けよ」以外のなにものでもなくてさあ……。(本来は、シャーク団への苛立ちが最高潮に達したジェット団のメンバーをリフが落ち着かせるナンバー)

 

曲順に関わらず各ナンバーの所感もいくつかいうと、先述したように「Somewhere」はバレンティナのソロに変更。エニバディズが店の中を覗いた後に続いてこのナンバーに突入するのも意図的なものを感じる。「Somewhere」を舞台版のような幻想的なビッグナンバーにするのは不可能として、誰に歌わせるかと考えたときにバレンティナを持ってくるのは最適解だと感じた。理想とする世界の象徴ともいえるこの曲を特別なものにすることに成功していた。

 

「アメリカ」は女性だけで歌う舞台版とは異なり、1961年版同様にシャーク団の男女の掛け合いになっている。さらに街角まで繰り出して住民を巻き込んだビッグナンバーに仕上げていて、「本来こうあってほしい夢の場所としてのアメリカ」を強調して描いた演出だと感じ、自然と涙が出てきてしまった。

 

「アイ・フィール・プリティ」はデパートの清掃をしているシャークガールズという設定になっていて、アクティングスペースが拡張。その他は大きな変更はないが、小道具やスペースが広がっているので見ていて楽しかった。

 

あとはそこまで大きな変更はないかな。あとはプロローグがジェット団の割合が大きく、ときどき両者が出会うという構成じゃないくらい。

 

 

②ダンス

 

ロビンスの元の振付も残しつつ、ジャスティン・ペックが振付を担当。街を移動しながら……などダンスナンバーの設定変更による振付変更意外にも、けっこう変わっている印象だった。とはいえ、基本的なスタイルや有名なものは極力残されているので、古くからのファンも満足できるだろう。唯一気になるのはダンスパーティのシーン。マリアとトニーの出会いのシーンに重きが置かれているため、1961年版や舞台版よりも群舞を見せる量がかなり減っている。だからジェットガールズの見せ場を減らすなあ!!!

 

③芝居

 

本作はメインキャストがさらに掘り下げられているので、他のメンバーの描写が浅くなっているというのは先述した通り。しかし、深まっているキャラクターもいる。一人はチノ。シャーク団の一員でマリアの婚約者という設定だったチノだが、本作ではしっかりした教育を受けて士業に就くべくコミュニティから期待をかけられている青年という設定に変更されていて、シャーク団とは敢えて線を引くように指示されている。時代やコミュニティの描き方にリアリティが増すと共に、決闘後のチノの言動にも説得力を与える良い変更だと感じた。

 

もうひとりはエニバディズ。ジェット団に入りたくても認めてもらえない少女であるエニバディズは1961年版でも舞台版でも重要なキャラクターだが、本作のエニバディズはもっと存在感が強い。「細くてボーイッシュでうるさい女」という従来のイメージよりも踏み込んだキャラクター造形で、登場人物全員の立場や状況を誰よりも冷静に見つめ、解決に導こうと努力している存在として描かれている。もちろん、有害な男らしさがもたらす悲劇という本作が内包する問題に鮮明な輪郭を与え、物語に奥行きをもたらす存在でもある。(なお、他の女性からバカにされる描写などはほとんどなかったように記憶している)

 

最後に触れたいのは、ドクの店(バレんティナの店)にアニタがやってくる例のシーン。あまりにキツい展開で苦手なのだが(みんなそうだよね?)、本作ではどうなるのかなあと不安に感じていた。私が見た舞台ではいずれも(1961年版もたしか同じだったと思うのだが)、ジェットガールズは騒ぎが起きる前に速やかに店の外に出されて不在、エニバディズは何も言えずに顔を伏せるという演出だったように思う。しかし、今回は違った。

 

まず、アニタと入れ違いに店を出るエニバディズが小声で「Leave」(去って)とアニタに伝える。そして、暴行が始まりそうになるとジェットガールズが身を挺して男たちに抗議しやめさせようとするのだ。無理やり店外へ締め出された後もガラス扉を叩いて抗議し続ける女たち。そして、最後にストップをかけるのはバレンティナ……つまり、徹頭徹尾女たちの連帯を示して展開するシーンになっているのだ。結果として起こることは変わらないものの、非常に大きい変更だと私は感じ感動した。ウェストサイドの中で唯一嫌いだったあのシーンの異常性と醜悪さを極限まで強調し、「すべての女は絶対にこれを許さない」というメッセージを込めてくれたことに感謝したい。

 

 

以上!まだまだ言えることは山ほどあるけれど、とりあえずすぐに感じたことを書き留めてみた。できればもう一度観に行きたいけど行けるかなあ……。

 

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