ソウルの女王アレサ・フランクリンの生涯を描いた伝記映画。

 

有名な牧師の娘として生まれたアレサは、幼少期から類まれなる歌の才能を発揮していた。ティーンエイジャーになりコロンビアレコードから声がかかったアレサはデビューするが、なかなかヒット作に恵まれない。一方で家族が猛反対する相手と結婚し、父親とは疎遠に。コロンビアレコードを離れたアレサは、マネージャーとなった夫の交渉によりアトランティックレコードと契約し、レコーディングに臨むが……。

 

アレサ・フランクリンの生涯を幼少期からフラットに追った伝記映画。アレサの人生は波乱に満ちていて、ローティーンでの出産、夫の暴力、アルコール依存症などドラマチックな局面が度々あったのだが、本作の特徴はそれらの出来事をことさら悲劇的に描いていない点だ。

 

不穏なシーンに差し掛かると場面が切り替わり、「あれ?あのまま何もなかったのかな?」と思っていたらしばらくしてカットバックで「その後」をほんの少しだけ映す。敢えて説明を排して、ちょっとだけ見せるのだ。ほとんど禁欲的とも言ってもいいこの悲劇性の抑制が、本作を良くも悪くもスムーズで見やすい伝記映画に仕上げている。

 

というのも、アレサ・フランクリンはC・L・フランクリンという著名な牧師の家に生まれたので裕福で、最初から明らかに天才だったために極貧の下積み時代といった「よくあるアーティストの苦労話」がないのだ。上品な服を着て、ゆったりと丁寧な言葉づかいで話し、暴力的な人種差別に遭って唾を吐かれたりもしない。彼女の人生に確かにあった悲劇も(それもかなりのレベルの)、わざわざ控えめに描写されている。要は、本作は彼女の人生のエピソードに余計な意味づけをしないように注意して作られたということだと思う。

 

できる限り客観的に、ひとりの人間・アーティストとしてのアレサ・フランクリンを俯瞰で見ようとする姿勢。女性ならではの苦悩とか、子どものためにすべてを捧げる母性とか、そういった「ありがちな」意味づけは絶対に避けようという強固な意志。そうではなく、教会で歌ってきたという彼女のルーツや、彼女が何を表現したかったのかというアーティストとしての芯のようなものに迫ろうとした作品だと感じた。誰に振り回されるでもなく、彼女自身が選んだ彼女の人生。

 

アレサは色々な目に遭うが、決して後悔していなかった。失敗は認めつつも、常に頭を上げて歩き続ける強さが表現されていた。大人しく父親の言いなりだったアレサは、年齢を重ね経験を積んでいくに連れて何度も「私はこうしたい」とハッキリ口にする。キング牧師との関係や、アンジェラ・デイヴィス投獄への抗議など、彼女の社会活動についても短いながらもしっかりと描写。過剰なドラマ性を慎重に避けながら、アレサが歩んだ彼女だけの人生を、アレサの意志に沿ってフラットに描写しようとした本作に私は好感を持った。それはつまり、彼女の人生のスキャンダラスな面をいたずらに消費するのではなく、アレサ・フランクリンという人間が確かにこの世に存在したということに最大限に敬意を払った結果のはずだから。

 

では、本作が表面的でつまらないかというと、そんなことはない。なんといってもアレサを演じるジェニファー・ハドソンの圧倒的なパフォーマンスが光っているから。あらゆる名曲が次から次へと歌われ、そのどれもが震えるほど素晴らしい。若い頃のジェニファー・ハドソンの芝居については「ちょとブリッ子すぎでは?」と思わないでもなかったが、ある程度の年齢以降の芝居では気になるところもなかった。父親を演じたフォレスト・ウィテカーの見事なミサシーンなど他にも目を見張るシーンがたくさんあり、物語の抑揚のなさを補って余りあると感じた。

 

あと、アレサがゆっくり丁寧な英語を話すので、英語にリスニングにも最適!奇をてらったところはないものの、ストレートで心に残る音楽伝記映画だった。