大橋裕之の「音楽と漫画」をアニメ化。ミュージシャンの坂本慎太郎らが声優として参加。

 

不良高校生3人組が、思い付きでバンドをスタート。楽器も触ったことがないし、音楽の知識もゼロ。でも、なんとなく楽しくなって流れに身を任せていたら、ちょっとしたフェスに出場することに。

 

とまあ、ストーリーはこれだけ。実際の動きをトレースして作られているそうで、フェスのシーンはステージを組んで観客も入れて演奏したんだそう。全体の体温は異様に低いのだが、なんというかこう……原体験ともいえる何かを表現できたいたと思う。

 

主人公たちは音楽の知識がまったくないし、名だたるミュージシャンらが参加しているとはいえ、劇中では音楽の知識はあまり出てこない。軽音楽部の少年たちがオタクっぽいくらいで、主人公たちは本当に音楽偏差値ゼロ。

 

単純に、自分の手が動くことでアンプから発せられる「音」そのものに夢中になり、決まったメロディもなにもなくリズムに身を委ねていく快感がそのままスクリーンに展開されていくのだ。ギターと間違えてベース持ってきちゃったからツインベース+ドラムという編成で、もはやそこにはリズムしか存在していないわけで。

 

クライマックスは当然フェスでの演奏シーンになるのだが、演奏していくうちに主人公がゾーンに入る描写が素晴らしい。リズムによるトランス状態がマックスを迎え、ついに彼の内部からメロディが生まれるのだ。ここで登場する岡村靖幸のエモすぎる歌声!!これこそ音楽だよ!という最高潮の盛り上がりを見せる素晴らしいシークエンスだった。

 

最近のヒットソングは歌詞が複雑だし、説教くさかったり青くさかったりしてウンザリすることが多い。単純に私が年をとったせいもあるだろう。でも、それだけではない気がする。今の若い世代は上の世代よりも楽に大量の言葉を紡ぐことに慣れているから、コミュニケションにおいて言葉が果たす役割が多くなりすぎて、ひとつひとつの言葉の質量が軽くなっているように感じるのだ。

 

『音楽』は、音楽から言葉を完全に取り除いたものを描いている。ぶっちゃけ、声も楽器の一つに過ぎないわけで、言葉は必要なものではないんだよね。まずリズムがあって、そこにメロディが乗る……絶対に必要な要素はそれだけのはずだ(究極的にはリズムだけもいいわけで)。余計な知識が何もない状態で、裸の音楽に触れた人間がどう反応し、自らの身体を通してどうやって音楽を昇華させていくのか。本作が描き出しているのはそんな原体験なのだと思う。

 

本質を表現するのって、どう考えても1番難しいよね。でも、『音楽』はそれに成功している。唯一無二のアニメだといえるのではないだろうか。