韓国発のミュージカル。『フランケンシュタイン』を大胆にアレンジした。初演は見逃したので今回が初めての鑑賞。

 

優秀な学者のアンリは戦場で天才科学者ビクター・フランケンシュタインに命を救われる。友情で結ばれたふたりは、ビクターの野望である生命創造に邁進する。戦争が終わり故郷に戻ったビクターだが、過去のある出来事のせいで住民からは疎まれる。そんなある日、研究のための新鮮な死体が手に入らないと嘆くビクターたちをトラブルが襲い、アンリが無実の罪で死刑に処されてしまう。アンリは自らを研究に役立ててくれと願い、ビクターは遂に研究を完成させるが……。

 

これは……なんとも評価しにくい作品だなあー!やたらと難易度の高そうな歌は聴きごたえがあり、ビクター役の中川晃教ら歌唱力が高いキャストは存分に実力を発揮。また、メインキャストが1幕と2幕でガラッとタイプの異なる別の役を演じるという演出は面白く、特に露崎春女の変わりっぷりと2幕の歌唱は素晴らしかった。(逆にエレン役のときはいまいちだった。音域が合ってないのかな)

 

が、しかし!ストーリーがちょっとなああ。無理がある上に無駄が多く、流れが悪くてイヤな気持ちになるという…何十苦?レベルのもどかしさだった。

 

【ツッコミどころ】

・酒場のシーン丸々カットでもよくない?いらないよね?

・「これまでに起きた出来事を説明歌で全部解説する」パターンが多すぎる。

・葬儀屋に頼もう!からの展開が無茶。

・殺された留学前の若者があまりに不憫。ちゃんと謝って。

・ジュリア「これからはきっとすべてよくなるわ!」⇒なるわけないだろ!

・処刑前のアンリとビクター⇒唐突なブロマンスに戸惑う。

・え、結婚したの!?ステファン寛大すぎるだろ。

・カトリーヌだけに悲惨が集約しすぎ。もう少し分散できないものか。

・レイプの暗示は必要なのか?

・暴力描写はあそこまで多くなくてもよいのでは?

・「エレン様は崖の方に探しに行かれました!」「じゃあ、そっちはいい」⇒どういう判断だよ!

・あの状況でジュリアを帰宅させるってあり得る?

・え…北極に迷子が…?

・杖で北極に辿りついたのすごい。

 

などなど色々とあるのだが、1幕は特にチャカチャカ進んでいくし、ストーリー展開が激しい上に言葉の説明で終わってしまう出来事も多く、ちょっと気持ちがついていかなかった。それに、ほぼすべての行程で「想定の斜め上を行く最悪の道」に進んでしまうので、精神的に疲れる。

 

同じく韓国ミュージカルの『ブラックメリーポピンズ』も精神的に疲弊する話だったが、あちらはストーリーの規模がもっとコンパクトだったので、キャラクターの心情が細かく描かれていた。しかし、本作は感情描写までいきつかない。特にアンリの心情が読み取りづらい。まあ、ビクターもとことんサイコパスだったけど…。

 

くり返しになるが、1人2役の演出はユニークで◎。また、子役の力量が光った。しかし、子どものころのエピソードにもドン引きした(あの流れでビクターに恋し続けるジュリアの気持ちが理解不能)。

 

なお、アンリ役は加藤和樹だった。熱演だったのだが、「善良そのもののこの人が、なぜビクターにそこまで惹かれたのか」が伝わらなかったので、唐突な自己犠牲に違和感を強く持ってしまった。なんとなくアンリは小西遼生の方が合っているのでは?と予想。不完全さの表現や、決意までの流れ、復讐に至るまでの悲哀なんかは小西遼生の方が得意な気がする。柿澤勇人のビクターはちょっと想像できないのだが、もう少し人間味があるのかもしれない。ビクターがサイコパスっぽくないと逆にもっとツラさが増す気がするから、キャストによってかなりイメージが変わる作品なのかも。ちなみに、中川・サイコパス・ビクターはとにかく歌で聴かせるので、ストーリーの粗はともかく耳は大いに喜んだ。

 

【追記】

昨日はとりあえず違和感を書き連ねたが、少し補足を。

 

無理があるストーリーでも強引な展開でも、イヤな気分になる描写でも、必要ならばいいと思う。

 

『ミス・サイゴン』はキツいストーリーだし納得がいかない部分もあったりするが、キムの物語の周辺にエンジニアの出自や人生があり、当時の状況を厚みを持って伝えている。また、「Room317」のようなナンバーで心の葛藤にも迫っている。そしてなによりも、伝えたいテーマが明確だ。「ブイ・ドイ」を高らかに歌うことこそが目的なのだろうと思わせる信念がある。

 

『フランケンシュタイン』には、そのテーマを感じなかった。もちろんフランケンシュタインなのだから、命の尊厳は需要なテーマなのだろう。それならばもっとそこにフォーカスした方がわかりやすい。

 

戦場で簡単に手に入っていた死体が、平和な世界だと手に入らない=殺人に至るという1幕の流れだけでも十分に成立するはず。戦場で失われる若者の命と、平穏な街で失われる若者の命に差はないはずなのに、それぞれの死の衝撃は大きく異なる。アンリの死は、さらに大きな衝撃を与える。フランケンシュタインに与えられる命と、そのために失われる命の対比、それぞれの命の重さに対する感情の矛盾……そこに集中する手もあったはずだ。

 

また、2幕のカトリーヌも不思議だ。カトリーヌは搾取され尽くす存在として描かれている。子どもの頃から奪われ加害され続けた結果、最後に加害に転じるという彼女の心の動きはもっと丁寧に時間をかけて描写されるべきであり、あっさりと短い時間でまとめるのは無理がある。それだけで十分にひとつの作品のテーマとなり得るほど重大なことではないだろうか?

 

それに、怪人の苦悩とカトリーヌの苦悩があの場所でしか重ならないのもモヤモヤした。カトリーヌがなぜあそこに縛られているのかの説明が足りないので、彼女が売られた被差別者なのか、過去になにかやらかしたペナルティの結果なのか、それとも誰かの身内なのか、単に攫われただけなのか、まるでわからなかった。それによって怪人と呼応し合う要素が変ってくると思うのだが……。差別・暴力の被害者・虐待といった切り口を強調するのであれば、カトリーヌを中心に置いて1幕の要素を極限まで削った方がいいのでは。

 

映画にしろ舞台にしろ。信念はなにか?伝えたいことはなにか?を感じることができない作品にはあまり惹かれない(パロディに徹したり、皮肉なジョークで社会風刺に徹するならばそれはそれでありだが)。『フランケンシュタイン』に納得できなかった一番の理由はそこかな。