またまた、昔かいたレビューを載せます。

この映画は、人生最良の映画ベスト5に入るくらい大好きです。



うみにかえるよ。のブログ-f



監督 テリー・ギリアム
出演 ジェフ・ブリッジス
   ロビン・ウィリアムズ

<ストーリー>


 舞台はNY。かつては売れっ子毒舌ラジオDJだったジャックは、恋人が経営するレンタルビデオ店でヒモのように暮らしている。不用意な発言によってリスナーをあおり、大事件を引き起こしてしまった過去を持ち、そのために名声も希望も失っていた。

 そんなある日、ジャックは奇妙なホームレス、バリーに出会う。元学者だった彼は赤い騎士の幻覚におびえながらも、毎日見かける女の子に片想いをし、聖杯伝説を固く信じ、エネルギッシュに暮らしていた。

 ジャックとバリーの間には次第に奇妙な友情が芽生えていく。バリーがあの事件の犠牲者だと知ったジャックは、バリーの手助けになることで自分の過去の償いをしようとする…。

 

 十数年前の作品。私がこの作品を初めて観たのは、その後数年経ってからのことで、高校生のときWOWOWをボーっと眺めていたら、たまたま遭遇した。それまでどちらかというとミーハーな観点からしか映画を鑑賞していなかった私としては(クリスチャン・スレーターに一目ぼれして映画ファンになったので)、自分の映画人生を180度変えた、歴史的な作品だった。

  「なにこれ、わけわかんない」と釘付けになり、最後にはボロボロと涙を流していた。

 内容は、完全なヒューマン・ドラマである。テーマは『魂の救済』『罪の償い』『愛』といったところで、はっきりいって上映時間はかなり長い。飽きる人もいるだろう。

 テリー・ギリアム独特のちょっと毒々しいファンタジックな映像、現実と幻想の境界線があいまいな構成、随所に織り交ぜられる非常に音楽的なシークエンス…。
 

 『聖杯伝説』という宗教的要素以外のなにものでもないモチーフを使用し、『魂の救済』『罪の償い』というベタベタな結論を説く、という内容でありながら、まったく説教くささを感じなかった。そして、突然群集がワルツを踊り始めたりする突飛な演出が、本当に自然な展開に感じられた。こんな映画は初めてだった。

 冒頭で人気DJとして登場するジャックは、モノトーンで無機質な超高層のスタジオでトークを繰り広げる。しかし転落してからのジャックを取り巻くNYは赤みを帯びた暖色系の色彩に包まれ、人々のファッションなどもゴテゴテと無駄が多い。ジャックの移動範囲も、地上もしくは地下。この構造主義的対比は完全に意識的なもので、その最たるものとして、バリーの幻覚に登場する『赤い騎士』がある。そして最後に『聖杯伝説』に基づいて進入する邸宅の壁の色も暖色で、土壁。NYなのに、土壁。ジャックは邸宅の屋上から侵入し、地上の玄関から脱出する。最後に突破するセキュリティーセンサーの色も赤。


 『上』と『下』、『無色』と『暖色(特に赤)』、『無機』と『有機』…。これほどまでに見事に映画上の要素がはっきりと対比配置されているとは。確認しながら全編を観かえすと、驚く。宗教と愛という普遍的な観念を表現するため、テリー・ギリアムは完璧な装置を用意しようとしたのである。
 

 そしてセントラル・ステーションの群集が、愛しい女性の登場とともにワルツを踊りだすシークエンス、そして初デートの中華レストランでバリーが突然歌いだす『リディア~リディア~♪』というメロディ。


 このようなファンタジックで美しすぎるシーンもあらゆるところに登場し、純粋な好意だとか、愛だとかいったものを切なく狂おしくあますところなく表現している。緻密に知的に組み立てられた構造と展開、そして直接感覚に訴える色彩と音楽、この2つの要素が、脚本の持つ壮大なテーマを丁寧に、リアルに、それでいて美しく昇華させている。


 この映画を観てつまらないとか退屈だとか、よくわからないだとか言う人は多いと思う。でも、この映画は紛れもない傑作と私は思っている。テリー・ギリアムもタランティーノもそうだと思うのだが、自作の脚本を監督したときより、他人の脚本を監督したときの方が、変なクドさが薄まって、普遍的に良い作品を完成させている気がする。