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娘の小学校最後の参観日があり、その後、懇談会がありました。
クラスの半分くらいの保護者が出席していました。
担任の先生から、
「自分の子のことを好きに言ってください。時間が無いので、すみません、一人10秒くらいで。」
と。
一人ずつ自分の子どものことを産まれた時からのことを話して、みんな途中で涙ぐんでしゃべれない感じで、5分位ずつでした。
私は、
「ここまで元気に成長してくれたのは、周りの方たちのおかげだと思います。これからもよろしくお願いします。」
と頭を下げ、座りました。
涙も無く、普通の挨拶のようで、ちょっと、「えっ」という感じもありました。
順番が回ってくるまでいろいろ考えました。
思い出は、震災無しには話せないです。
家族と家を流され、自分たちも津波にのまれながら逃げました。
大人が震災の話を始めると、ちいさい娘が気持ち悪いと吐くようになり、私からピタリと離れなくなりました。おねしょする月齢でもないのに、おねしょをするようになりました。
娘の耳にヘドロの海水が入り、内陸の耳鼻科に通いましたが、自衛隊の配給の時間に送れるともらえないため、すぐ帰らなければなりませんでした。
震災の記憶が今でも拭えない、でもやっと安心して生活ができる日々が続いています。
懇談会には、ちいさい子もいたので、こんな話は聞かせたくないし。言いたくもない。津波と関係ない地域だから、聞いた人も引くだけだし。
だから、考えてそれしか言えませんでした。
でも、娘をすごく愛しています。(当たり前ですが)
冷たい人だと思われただろうなぁと思いながら何となくちょっと落ち込みました。
またひとつ歳を取りました。
私の近況は、ずっと関わりたかった仕事に就けて、人間関係にも恵まれ、幸せでしたが、その事業が今年度いっぱいで終わってしまうことが決まり、年末は最悪な気持ちでした。
年が明けると変な感じなんですが、何十キロも肩に担いでいた重りが取れたかのように、楽になりました。何度も家族に言ってしまうのですが、
「年末は何かにとりつかれたようだったよ。体じゅうが重くて、話をすることさえ苦しかった。」
あと少しで仕事が終わってしまうのですが、何だか気持ちは晴れていて、仕事じゃなくてもボランティアで携われるし、特に気にならなくなりました。まぁ就活しなければならないので、そこはがんばります💦
転換期には、B型の女性がいつも親身になってくれます。(血液型関係無いかもしれないけど、いつもみんなB型なんです・・・。)
おととい言われたのは、みんなの前で、
「大丈夫よ-😀。今がドン底だから、これからは上がるしかないからね。」
とキツくハグしてくれました。
何か今までとはちょっと違くて、駐車場が🈵の時に、どこか空かないかなぁと何台もグルグル回ってる車があるなか、目の前の車が出たり、最後のひとつが買えたり、本当にちょっと良いことが、毎日あります。
運勢とかそういうことかもしれませんが、よく分からないですが、ちっちゃい幸せがあり、幸せな気持ちになります。