ニューカレドニア'80年代暴動時にロケしてました。 | 美容・医療ジャーナリスト 海野由利子のブログ

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美と健康にまつわるさまざまなニュースや注目していること、雑誌に載せきれなかった情報をお伝えします。

南太平洋、オーストラリアの西側にある島がフランス領のニューカレドニア。

今月13日の夜から暴動が起き、死者も出ていると報じられています。

 

ニュースなどで「1980年代にも暴動があった」と伝えられてますが

実はその時、ワタシ、ニューカレドニアにいました。

 

ロケで。

報道系ではなくて、女性誌のファッションページのロケで滝汗

 

わー、また暴動か。

と思ったら記憶がざーっと甦ってきました。

 

1985年かな?(紙の写真あると思うけど。あとで探せたらアップします) 

ネットのない時代なので現地の政治状況とか、独立運動の状況はまったく知らされてなくて。

 

ニューカレドニア政府観光局が日本に対する観光アピールの一環としてのタイアップ取材でした。

私が勤務していた「装苑」では、「南の島・ニューカレドニアでの結婚式、ハネムーン」みたいな企画。

 

外人モデル2人とカメラマンと、編集者は私(スタイリスト兼務)で、他にマガジンハウスのロケ隊も同じ便でした。

(機内で、スタイリストの先駆けである憧れの原由美子さんにご挨拶したのは嬉しい思い出♡)

 

装苑ロケ隊はタイアップ先の地中海クラブに宿泊。

2日くらいは地中海クラブの敷地内の海岸などで順調に撮影が進んでたのですが

「イル・デ・パン」という離島ロケの際に急に「今日は飛行機が飛ばない」という事態になり、

急いで、船便で行ける離島にスケジュール変更をしてもらい「アメデ灯台」へ。

近くの桟橋で船を待つも、なかなか来ない。「船を運転する人が独立運動派に拘束されている」とも言われました。

若干の遅れがありつつも、撮影はアメデ灯台でなんとか終了。

 

最終日は市内で中心部で観光スナップ撮影でしたが、そこが緊迫していて怖かった滝汗

現地の政府観光局が車を出してくれて運転もしてくださってたのですが

撮影のため何カ所かで止まっても、エンジンはかけっぱなし。観光局の担当者は運転席からは降りません。

危なくなったら、すぐ撤収して移動できるように、ってことですよね。

こういう機器を経験したことの無い私も、さすがに背中が冷たくなりました。

 

中心部の広場では独立賛成派とそうでない方々や行政側が衝突状態のようで

わーわーと騒ぐ声やパン、パン!という銃声が聞こえ、何かが燃えている煙やニオイも漂ってきてました。

 

逆さまになって真っ黒に焼け焦げた車は何台も見たし

銃でヒビが入ったガラスもたくさん見ました。

 

私は私で、仕事はこなさないといけなかったので「怖いからやめよう」という考えはなかったし

近くで暴動が起きていても、政府観光局の方のおかけで危険な目にはあいませんでした。

 

そして、空港閉鎖になるかもしれないし、夜間のフライトは危険ということで帰国が半日早まりました。

成田に着くと、なんとフランス政府観光局の方々も出迎えに来られていて、たしか相当謝られたのです。

そこで「え、そんなに大ごと事態?」とリスクの中にいたことを知ったのでした。

 

ほとんど地中海クラブの中にいたというのも、危険を感じず良かったのかもしれません。

 

「鉱石資源の豊かな島」らしく、上空からは赤い土の広がりが見え、

海がきれいで、パンが美味しい、ニコニコした笑顔の方を多く見かけたニューカレドニア。

平和を得るには衝突も必要、という考えもありますが、なんとか命が失われることが続かないよう願っています。

 

 

(ちなみにこのロケは私が属してない、別の班の担当でした。担当すべき先輩がロケに出られるスケジュールではなく、私の班の先輩も別のロケがあって無理。私はロケ準備をしながら「どうするんだろ?」と眺めていたら編集長と目が合い、「じゃあ、ユリちゃんに行ってもらおう!」と。「は?何でですか」と抵抗はしたものの、、、という、ある意味“もらい事故”仕事でした。ニューヨークから来たばかりの男子モデルをほぼそのままニューカレドニアに連れて行くなど、今思えば「すげー強引」な話をたくさん思い出してしまう、バブル直前の80年代の仕事でした)

 

 

✱現在のニューカレドニアにの状態  NHKニュース web版

フランス領ニューカレドニアで暴動 3人死亡 少なくとも80人拘束 | NHK | フランス