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「君は歌いたいんだろう?だったら、聴いているだけじゃダメだ。ここに来るなら、本当に歌えるようになってもらいたい」
「舟橋さん……」
ほんの少し考え込んだ後、天音は小さく呟くように、よろしくお願いしますと頭を下げた。
「俺、ただほんの少しこの場所に居させてもらえたら、くらいにしか思ってなかったのに。そんな特別な待遇をしてもらったら、みんなモヤモヤするんじゃないかな」
入団許可を貰った帰り道、天音は俺や望月に抱えていた不安を吐いた。
合唱団に在籍できる喜びよりも、他人の気持ちが気がかりなコイツの戸惑いに、俺も望月も切なく胸が締め付けられた。
「大丈夫だよ、岡崎。そういうこともちゃんと考慮された上での判断だと思うよ。俺はHARUKAに入ってまだ3ヶ月しか経ってないけど、みんなホントに温かい人ばかりだぜ」
うん、分かってるけど……、と、天音は伏し目がちになる。
「天音、今は純粋に喜んでいいんじゃね?せっかくこうして団員になれたんだし。やりたいことの一歩が踏み出せたんだ。な、俺は嬉しいけど」
俺の言葉に、天音はホッとしたように顔を上げた。
「そうだな、受け入れてもらえたことを喜んでもいいんだよな」
コイツなりに、この場所に身を置くことの難しさを思案していたのかもしれない。
天音のことばかり言っていられない。
俺だって、素質があるというだけで、これから皆の足を引っ張らないようにするためには、相当なトレーニングが必要となるだろう。
「一緒に頑張ろうぜ。俺が見込んだ奴らが入団してくれて、なんだか俺、ちょっと自信ついた」
望月が照れながら頭を掻いた。
「俺たちホントに初心者だから、望月に教えてもらうことたくさんあると思うんだ。よろしく頼むな」
「ああ、俺なんかじゃ頼りないけどさ。とりあえず筋トレ始めるといいぜ。腹筋とか背筋とか鍛えないと、声がブレるから」
望月は毎日朝早くに起きて、ジョギングと筋トレを欠かさないそうだ。
体育授業の着替えで見た望月の身体は、制服の上からは想像できないほど逞しく筋肉質だった。
そういうことだったのか。
合唱団に通うだけでも生活が劇的に変わるが、これは思った以上に大変かもしれない。
でも本当にやりたくて始めたことだから、弱音は吐きたくない。
早速望月を見習って、30分ほど早く起きてトレーニングを始めようと俺は決心した。
それから俺は朝5時半に起きて、雨の日以外は近所の公園周りをジョギングし、夜寝る前には筋トレを欠かさないようになった。
週に4日の練習は、やはり通うだけで大変だ。
しかし練習前の空き時間を勉強に充てられるのは良かった。
宿題はもちろん、授業で分からなかったところを互いに教えあったりすることで理解度も深まった。
天音も、聞き取れなかった単語をひとりで探るよりも、俺たちに教えてもらえて楽になったと話してくれた。
ほぼ毎日ファミレスに通って飲食代も正直かなり嵩んだが、ありがたいことに親はいつも軽食を取れるだけの金額を持たせてくれた。
本当なら夕食自体をそこで済ませれば楽だが、そこまで親に負担をかけるわけにはいかない。
帰宅は10時近くになるけれど、家で食べることにしている。
今日もいつも通り駅前雑居ビル2階のファミレスで、食事の後に勉強のノートを広げた。
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◇長編小説◇ピアニッシモ・第二楽章・3に続く
