すぐにわかった。
 一年と五ヶ月ぶりだけれど。
 こんな時間に、こんな風に、こんな電話のかけ方をしてくるのは、あなたしかいないもの。


「仕事は?うまく行ってるか?」

「仕事だけじゃなくて、今までで今が一番バランス良いみたい。すごいいい感じよ」

「こないだも聞いたぞそれ。進歩がないなぁ、お前」

 あなたも進歩がないじゃない!なのに、いつもそうやってうれしそうに私を小バカにする。

「最近、どう?」

「え?ダンナと?うん。上手くいってる」

「その声じゃ、相変わらずみたいだな」

 バカ、久しぶりに電話してきてわかった風な口きかないで?

「俺、多分もう結婚できない」

「は?最近彼女いないの?」

「釣るのは簡単だけど、本当に好きになるのは、難しい」

「そっかぁ、でも私 あなたの遺伝子は残した方がいいと思うの。チャンスがあったら誰かに産んでもらってね」

「・・・お前は・・・」

「ん?」

「お前は心の放浪癖があるからなぁ。それをコントロールできる男と結婚できて感謝しろよ、ダンナさんに」

 心の放浪癖。
 わたしたちがふたりでひとつだって信じて疑わなかった頃、私のそれが出るたびに、あなたは真っ直ぐに向かい合ってくれてたわねぇ。どんな時も。


 俺、まだお前の事抱けるかなぁ 。

 ばかね。あの頃と違って私、すっかり加齢しちゃったもの。

 ソウカ、マタチョクチョク レンラク スルヨ


 あなたも放浪してるのね。
 そう思ったけど、言わずに電話を切った。

 誰もいない、窓から晴れた空の見えるリビングで。

 週末、職場の歓送迎会にて。
 
 一次会では、後半知らないあいだに隣にいた(アホ)社長のお世話。
 二次会のダーツ・バーでは盛り上げ役(まあでも社長のオゴリだったから、いっか♪)

 日付が変わって、風がひんやりする頃解散となる。
 一台で乗り合わせてきた社長や上司たちに頭を下げ、少し酔った女性を、飲み友達の男性に任せ、タクシー乗り場まで見送って、ひとりでいつものバーに向かうために踵を返した。

 後ろから足音がして、名前を呼ばれた。
 二十五歳、同僚のナカノだった。

「あれ?タクシー乗らなかったの?」

「はい、自分家近いんで歩いて帰ります」
 
「へええ、若いって素敵」

 まさか、まだ飲むんですか?って聞くから
 一緒に一杯付き合う?って答えたら、ついてきた!

 実は実は、ものすごく苦手なのよ、この男。
 イマドキ類まれなる真面目な青年なんだけど
 裏を返せば融通が利かない(笑
 何で誘っちゃったんだろう、あたし。

 カウンターに肩を並べる。
 二杯目のお酒を頼んだ頃から、ナカノは心の叫びをぶつけてきた。

「俺、今更どうしたらいいんですかね?」
 
 国家試験に三回連続失敗したのは知ってたけど。
 でも、それ以上に彼の負担は
 両親や、彼女の期待に潰れそうになっていた模様。
 なんだあ、イイコちゃんぶってただけ?

「ナカノ、男は辛いねえ。でも、大丈夫。今まで何とかなってきたんだから、何とかなるって」

 マスターから赤のマルボロを貰ってゆるくふかす。
 アルコールと煙が体をまわる。

「ええ?!タバコ吸うんですか?知りませんでした」
 目を見開いてのオーバーアクションに、こっちが驚く。
 でも、確かに私はここで以外タバコは吸わない。当然か。

「ナカノ、人間はねえ、イイコちゃんでいなきゃいけない時もあるけど、たまに自分にしか解からない、内緒で、悪くて、気持ちいいこともしなきゃ、壊れちゃうんだよ」

 それから、ナカノは三杯目のショート・カクテルを頼んで散々毒吐いて、突っ伏して、あっという間に寝た(笑
 
 苦手な男だと思ってたのに、なかなかかわゆい奴だった。
 だめだなあ、あたし。
 ここ数年、男が皆かわゆく見える(笑

 なんとか起こして、水を飲ませて店の外まで見送った。
 それから店に戻って、私も水を飲んで、マスターにタクシー乗り場まで送ってもらって、いつも通りハグとキスをして車に乗り込んだ。

 ナカノも、タバコも、けむたくない一日だった
 気の置けない仲間五人で、久しぶりに再会した夜。
 テンションのあがった私は、皆と別れてから、ひとりでいつものバーに向かって、いつも通り長いカウンターの奥から五番目の席に座った。
 他に客は、壁に沿ったテーブル席にいる、親密そうなカップルだけ。
 店内にかかるジャズに時々、ひそひそと、やわらかな囁きがかぶさって響く。

「今日は、どうしますか?」
「寒いから、あたたかいのが飲みたいなあ」
「かしこまりました」チーフが、慣れた手つきでやかんを火にかけて、きれいにグラスを目の前に置く。

 しばらくして、奥からマスターが出てきて目配せをした。
 私も目配せを、かえす。

 からん、と音がして男がひとり、入り口に見えた。
 ひとしきり、チーフと話した後、足音が近づく。

「こんばんは」
「わ、久しぶり。キャンプの時以来、ね?」にっこり笑って隣のスツールの座面をとんとん叩くと、彼は隣に腰を下ろした。

「はい、あの時はご迷惑をおかけしました」
「ぜーんぜん。私ね、酔ってあんなに気持ちよく泣く男のひと、はじめて見た」
「こないだ、ビデオ見たら、俺の知らない俺がいました」
「でしょ?あ、でもね、あのシュークリーム美味しかったあ。私、あれの美味しさに感動して酔いがさめたもん」
「まじですか?あれ、皮を膨らませれる成功率50%なんですよ」
「お菓子作るのが好きな友達も、ね?シュー皮を膨らますの難しいって言ってたもん。それでもすごいよー」
「いやあ、けっこう楽しいっすよ」

 彼は、信号がない島で育ち、この街にある大学へやってきた。どうりで、キャンプの時魚を食べるのが上手いと思った。

「でさ、大学で何のお勉強してるの?」
「もう四年なので、研究ばっかりです。発ガン性の物質が、遺伝子の…」
 工学部の彼は、私に解かるように、時々空に向かって眉をひそめながら、ゆっくりと説明をしてくれる。

 あ、もうグラスが空に。

「チーフ、おまかせしますので、もう一杯」
「じゃ、俺サイドカー」
「サイドカー?大学生が二杯目に頼むなんて、粋ねえ」
「去年までバーに足なんて踏み入れたことなかったんですけど…ここに出入りしだして、これすごく好きになったんです」

 サイドカーを一口飲んで、羽織を脱いだ彼。
 その空気の動きに乗って、彼と、その金色の液体の混ざった香りが鼻に、ふうわりと届く。
 
 それに、オトコ、の匂いを感じた夜。

 白い息を吐きながらタクシー乗り場まで送ってもらって、ほんの少しだけ甘い気持ちになった二十五時すぎの空には、ぱっつりと半分に割れてスマイルマークみたいな月が浮かんでいた。

サイドカーのレシピ

http://cocktail-design.com/tabid/54/recipe/710/Default.aspx