愛と光の存在のあなたへ

 

 

宗教団体から離れたいけど離れられない

 

 

わたしも30年間、熱心に信仰してきて

 

後の26年間は内部の人間として勤めていたので

 

上のような相談も受けることがあります。

 

 

わたしの経験からですが

 

母が熱心に信仰していた新興宗教を10年前に

 

脱会したわたしですが

 

ズバリ、辞めても大丈夫ですヽ(^o^)丿

 

 

信仰は必要ですが

 

特定の宗教に縛られる必要はないと思っています。

 

信仰とは視えない大いなる存在

(神さま、仏さまなど人間の人智をこえた存在)を信じうやまい祈る心。

 

宗教はそれらの考えをもった人の集まり、組織。

 

 

やめようかどうしようか悩んでいた頃は

 

バチが当たりそうで怖くて

 

母に背く親不幸と

 

後に父も入信し一家が幹部にもなっていたので

 

期待に背く自分

 

なんて親不孝なんだろうと自分を責め悩んだものです。

 

 

でも、自分らしさを取りもどすには

 

いったんは意識をふりきる必要があったのです。

 

 

バチがあたってもいい

 

親不孝になってもいい

 

親の期待に応えなくてもいい

 

と自分のねば、べきの意識を180度ふりきったんです。

 

 

そりゃ、こわかったですよ~

 

・・・でも、

 

やめてからの方が

 

自分らしく

 

自由に

 

しばられることなく

 

過ごせています

 

もちろん、バチもあたっていませんw

 

 

 

5年ほど前、わたしのところに相談に来てくれたSさんも

 

脱会した1人。

 

今では

 

「宗教して、それで苦しんだなんて、なんだか

 

滑稽で、恥ずかしいこと、という思いが、私の中にあります。」

 

と言っていたのが印象的です。

 

 

人の心を救うはずのものが苦しむ原因になってるなんてね。

 

本末転倒だよね。

 

 

長く続けていくと新たな悩みを作り出すことも多々、あります。

 

宗教団体も組織

 

組織ということは人間関係に悩むこともでてきます。

 

運営もしていかなくてなりません。

 

お布施の額やなんにん勧誘したかなどでステータスが決まる。

 

宗教団体のなかで競争意識がめばえ

 

階級の差ができてくる。

 

 

わずらわしさも増えるいっぽう

 

かといって、長年の信仰から離れるなんて怖い

 

それくらいなら我慢すればいい。

 

無心で信仰しつづけていくいくことが難しくなっていくんです。

 

 

でもね、いまならはっきりと言えるの

 

 

自分を生きてこその

 

神さまであり、先祖です。

 

信仰って本来の自分ありきなんです。

 

 

自分の気持ちをあざむきつづけてまでの修行

 

自分がほしいものを我慢しつづけてまでのお布施、勧誘

 

争うことは不徳なので善人でいようとすること

 

もちろん、それが徳つみだと心から信じて疑わない

 

やりたいことならいいんだけど

 

 

わたしは

 

これを30年、しつづけて心がスカスカになりました(^^ゞ

 

 

自分をまず一番に考えるってこと。

 

自分が神さまでありご本尊であればいい。

 

他者平和、世界平和の前に自分平和ありきなのです。

 

 

 

これ宗教の話で書いていますが

 

他への依存にも当てはまるのです。

 

異性依存、クスリ、ギャンブル、お酒

 

わたし達は自分の外によりどころを求めようとしてしまう。

 

よりどころは自分。

 

 

内なる自分が本尊であり神なのです。

 

 

ところがこれがなかなかそうは思えない。

 

これね

 

成長しきれていない子どもの部分が残っているから。

 

インナーチャイルドさんの存在です。

 

わたしたちは、50歳、60歳・・

 

 

いくつになっても子どもの部分を持っています。

 

 

この成長しきれていない子どもの部分が多いほど

 

実際の年齢とはかんけいなく

 

自分以外の誰かに依存する傾向があります。

 

 

子どもは自分の意見、考えに自信がもてませんから

 

大人に訊くし頼りますよね。

 

 

 

心は子どものままで怖くて心細いままなのに

 

さすがにいい大人になって

 

子どものようにふるまうことはできない。

 

でも、誰かに指南をあおぎたい。

 

教えてほしい

 

よりかかっていたい。

 

 

大人になってからの親代わりが必要なんですね。

 

 

それが会社、企業、組織だったり、宗教の教えだったり

 

はたまた、自分の親と似たような配偶者

(結婚した当初は似てないのに、段々、似てくる場合アリ( ̄▽ ̄))

 

 

どこまでも、誰かに束縛して欲しい

 

誰かに戒めて欲しい

 

誰かに従がっていたい

 

喝を入れて欲しい

 

誰かに許可を求めたい

 

ときに甘えさせて欲しい

 

誰かの庇護の元に身を置きたい

 

守って欲しいと願う心があるものなのです。

 

 

その裏には責任をとりたくない

 

責任をとる自信がないという心理があるのです。

 

 

外に責任をもっていたら

 

どこか不自由さ、息苦しさを感じながら

 

教えでは「こう言ってた」

 

会社の規則では「こう決まっているから」と

 

自分ではないところに委ねられる。

 

 

インナーチャイルドさんを昇華させていくほどに

 

真の自分(本心)がめざめてきます。

 

 

 

親そのもの、あるいは

 

親代わりのもとにいる息苦しさを感じながら

 

無責任な子どものままでいたいのか

 

 

庇護はなくなるけど

 

やりたいことをやる自由を得たいのか?

 

 

 

庇護(ひご)をてばなすと

 

実際はもっとおおきなおおいなる宇宙の庇護(ひご)があることを知ります。

 

 

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