大人女子を幸せに導くスペシャリスト
心みねこです
今、特に不自由しているわけでもないけど、
なんとなくもの足りない。
仕事にさほど、
やりがいを感じているわけでもないけど、
まぁ、お給料は安定しているし、
辞めたいほどでもありません。
休日はお茶をする友人もいるし、
趣味の一つや二つも持っています。
このままいけば、
この先も、きっと
こうして暮らしていくことは
できるとは思います。
でも、こんな人生が続くのかと思うと、
何かもの足りなさを感じてしまいます。
もの足りなさを感じるのは、
何か欠乏感があるから?
よく、欠乏感があるのは、
過去に何か大きなショックが
あったからと言われるけど、
振り返ってみても、
思い当たることはありません。
両親もいたって普通で、
特に問題はなかったと思います。
学校の成績も中くらい、
友達だって多くはないけど、
それなりにいました。
どちらかというと、
比較的、恵まれて育って来た方だと思います。
なのに、満たされないと感じてしまうのは、
何でなんだろう?
それは「普通という寂しさ」を
たくさん感じてきたから
大変なことがあったとかではないから、
自分ではさほどではないと思っているけど
「フツーという寂しさ」が思いのほか、
自分の心を占領しているからなんです。
普通って、
平凡、可もなく不可もない、
特徴もないから印象に残らない。
誰からも注目してもらえないことに
「どうでもいい存在」と感じてしまいます。
「どうでもいい存在」って、
とっても寂しい。
本当は、心はこんなふうに泣いていませんでしたか?
「ずっと、寂しかった」
「わたしはここにいるよ」
「わたしのことも見て」
わたし達は、
周りの大人の期待とおりになろうとして、
言うことを聞いて、優しくて、真面目で、
いわゆる「いい子」になろうとしてきました。
結果、周りの大人の期待とおりの
「いい子」のできあがり。
でも、できすぎると
今度は目立ってしまうので、
周りとのバランスをみます。
突出しすぎないように、
いつも「中くらい」でいるように気を配ります。
「いい子」よりも「フツーの子」でいる方が、
何かと好都合です。
でも「フツーの子」は
「無難な子」ではあるけど「注目される子」じゃない。
印象の薄いその子の発言は
箸にも棒にも引っ掛かりません。
クラスメイトに話しかけようとしたら、
その子は別のクラスメイトに話かけようと
席を立ってしまって、こっちに気づいてもくれない。
並んでいても、話しかけられるのはお隣の子で、
自分はスルーされちゃう。
私はここにいるのに、
まるで透明人間のように、
すり抜けられたような感じ。
決定的に嫌われたとかではないし、
相手にも悪意はありません。
だから、自分も「たいしたことないや」
「たまたまだったんだよね」で片づけてしまいます。
でも、心は「チクっ」と寂しいって感じています。
「普通の子」は先生にとっても
印象に残りません。
「手間のかからない子」だから、
ほおっておいても大丈夫と思われています。
先生は、問題児に気を取られていて
「フツーの子」は、気にかけてもらえない。
これも、重なると無視されてるような気がします。
人って怒られること、
バカにされることも辛いけど、
何が一番、辛いかって
「無視されること」
「無視されたように感じたこと」も、
無視されたのと
同じくらいに傷ついているんです。
こうしてみると内容の一つは一つは小さいこと。
「しかたないよね」と
納得しているつもりでも
「自分はどうでもいい存在」と
傷つき、寂しさをちょくちょく感じる場面があったんです。
それに、どちらかというと
恵まれて育った方であれば、
家ではちゃんと相手をしてもらえたでしょうし、
受け止めてもらっていたと思うんです。
大事にされていた感があったのに、
学校に行ったら違った。
このギャップは更に寂しさを募らせるし
プライドは傷つきます
「ずっと、寂しかった」
「わたしはここにいるよ」
「わたしのことも見て」
口に出して
自分自身に声をかけてあげましょう
自分の心にある「寂しさ」は
自分でいつでも埋めてあげられます
こちらはみねちゃん塾卒業生
仙台で心屋外孫による、カルチャーが始まります![]()
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次回は10月12日(木)14:00~14:15
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秋田テレビ 心理カウンセラー”心のお部屋”



