こころの水先案内人、心みねこです
母親が実家に帰省する度に
「ちゃんとご飯は食べているの?」
「掃除はしているの?」
「元気でやっているの?」
ブスッとしている私に
「お母さんは、あなたのことが
心配だから言ってるのよ」というやりとり。
心配してくれれている
そうはわかっていても
大人になって
いい歳をした娘への
母親の心配がウザい、イラつく
こんなご相談をよく受けます
40代から10数年
反抗期を続けていた私にも
そんな時期がありました
ちょっと、客観的に考えてみましょう
母親が実家に帰省する度に
「ちゃんとご飯は食べているの?」
「掃除はしているの?」
「元気でやっているの?」
お母さんからすると、心配しているだけ。
それ以上でもないし、それ以下でもない。
実は
そこに何かしらの意味づけをしているのは、
子供の方なのです。
何かしらの意味づけをしている
=”受け取り方の偏り”
”受け取り方の偏り”は
心配されると
成長していない
いつまでも子供扱いされている気がする
いつまでも親を越せない自分
優位に立っていない自分
信用されていないんだなと
受け取ること
特に子供が男性の場合、
認められたいと言う意識が強い分
プライドが傷つくのです。
が、この受け取り方だと、
母の言うことがイチイチ、カンに障る。
んで、カンに障るということは、図星なわけで・・。
何が図星なのかというと
成長していない
親を超えていない
信用されていないと
認めたくないけど、自分が信じているわけです。
心配されるたびに、
無力な自分があぶりだされるわけです。
心配してるよ=成長してないね
と
自動変換しているわけですね
それらの自動変換を
いったん手動にもどさない限り
終わりなき道をさまようこととなるのです。
終着点に着くには
意識の戦いを終えることです。
意識の戦いを終えるには
感情の色を変えることです。
その事実に”受け取り方の偏り”で、
好きな色を塗っているのは自分です。
その事実に、悲しみ色を感じたいのか、
喜び色を感じたいのか、
自分が選んでいいのです。
母親の心配を
愛情ととれば、感謝の色になるでしょうし
過干渉ととれば、苛立ちの色になるでしょう。
自分にとって、不快な感情を感じるときは
”受け取り方の偏り”を
伝えようとしているのです。
とはいえ
厳密に言うと母親の
「あなたのためを思って」は
実は「自分のため」という保守手段ということを
子供は敏感にも察知していたりするのです
私を一番に愛してくれていないが
伝わって来る。
更に、他に兄弟がいると
私は二番目、三番目と悲しくもなります。
が、それはそれで、
親を責めたくもなりますが
よくよく考えたら
随分と無理なことを要求してることでもあるわけです。
親が自分を一番、大事にして
何が悪いというのでしょう?
戦争映画などを観ていると
親が自分の命と引き換えに
子供の命を守ったなど
美談が語り継がれています。
そういった話しを、母親は、
「そうあらねばならぬ」と受け取るし
子供は、母親とは「我が身を省みず
我が子を救うもの」と思い込みます。
が、これが当たり前なのではなく
イレギュラーだったからこそ
美談として語り継がれているのではないでしょうか?
母親は、自分を一番、大事にしていいのです。
まずは、自分の体制を立て直すこと。
でないと周りの人を助けたくても
助けられなくなります。
津波が来たら
まず一番に逃げる
自分の安全を確保しているからこそ、
次なる手段を講じることができるのです。
一方、子供の側は
一番に愛して欲しいを伝える
寂しいを伝える
本音を伝えていないから
いつまでも癒えずにくすぶっているんですね
素直になることが
自分を楽にする
親に素直になること=親に負けることと
思い
意地になってしまいがちですが
親に素直になることは
=自分に素直になる
=自分に優しいこと
なのです
後は自分が究極に立たされた時に
自分の命を差し出して
変われるかを考えてみたらいいと思うのです。
自分は出来ないことを
親に求めていることの多さに気付きます。
そもそも
お母さんは生まれたときから
お母さんという役割で生まれてきたわけじゃありません
私達が生まれたときに「お母さん」と呼ばれている
一人の女性が家に存在していたのです
親が自分の命と引き換えに
我が子を守る
理想の姿ではあるかもしれませんが
「そうあらねば」ではありません。
かくいう私も
子供が死にかけたことがあります。
苦しんでいる姿をみて
変わってあげたいと
何度となく思いました。
でも、泣き叫び、弱っていく姿をみて
私は無力でした。
祈ることしかできませんでした。
気持ちは命を差し出す覚悟があったとしても
現実は叶わなかったわけです。
もし、このとき、長男が死んでいたら
母親の私の気持ちはどうであれ
息子を助けられなかった母親という事実だけが
残るわけです。
親の心、子知らず
子の心、親知らずです
血は繋がっていても
自分以外の人(他人)なのです
時:6月18日(日)14:00~16:00
場所:秋田市文化産業施設「松下」千秋公園内
チケット代:4500円 詳細は こちら
次回は6月22日(木)14:00~14:15
アーカイブ は こちら
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