こころの水先案内人、心みねこです
今回のキンちゃんの事故や
おかぴーの訃報で思ったこと
生きててくれるってことは、
会おうと思えばいつでも会えるという安心感がある
これ、頻繁に会えない関係性であっても一緒
同じ「今」という世界を共有してるという一体感がある。
死ぬってことは、現実からその人の肉体、
その人の姿が無くなってしまう
永久にもうこの世では会えない、
ぬくもりも感じられない。
死ぬ=悲しみ、悲惨、死後の世界がわからない不安、終わり
「死ぬ」ということに対してはネガティブなイメージしか湧かない
ネガティブなことって、悪いことって捉えがちだけど
本当にそうだろうか?
死ぬことって、残された周囲は悲しいことではあるけど
悪いことではない
仏教では、畳の上で死ねない死に方(事故や自殺)は
よくない死に方とされてる
あるいは、悪業を積んでると死後、
地獄に落ちると言われたりする
地獄は、それは、それは恐ろしいもので、
地獄に落ちたら永遠にその苦しみから抜け出すことができない。
だから、現世では、善行を積みましょう、
いい死に方(天寿をまっとうする)をしましょう。
これって、悲しみの度合いが深いことを地獄に例えているのかも。
例えば子供の早すぎる死
わたしも、最近、長男の同級生が亡くなった
「親御さんの悲しみはいかばかりか」と思うと
胸が締め付けられる
授かった命を全うしないうちに
亡くなる周りの失意の度合い。
順番で言えば親が先に死ぬはずが
逆になる
地獄って
人が持つ最大の喪失感の代名詞なのかなと
地獄=失意の深さ・苦しみの深さ・悲しみの深さ
子を亡くした親の悲しみは計り知れない
わたしだって、考えただけで、
目の前が真っ暗になる。
正常でなんていられない。
若くして亡くなること、親より先に死ぬこと
親の悲しみの度合いがあまりにも大きいことの形容かも
地獄って、人間が誕生した何十億年も前からの悲しみが、
生み出した1つの比喩で、
それが語り継がれて代々のDNAに刷り込まれてきたのかも・・
実際のところ、
本当に死んだら地獄という世界はあるのだろうか?
死んだら天国に行くっていう説だってあるではないか・・。
現に脳神経外科も認めた死後の世界では、
光を観たり、お花畑を通り、
ご先祖や守護天使に出会うのだと言っている
更に溢れんばかりの幸福と平和を感じるそうだ
圧倒的な愛の存在に包まれる感じがして、
それは神のような敬虔な姿だったり、
光のように実態のない存在だったりするそうだ
地獄に落ちるという世界とは真逆だ
どっちを信じるかは
意見も分かれるところだろうけど
実際のところ、死んだことのない私たちが、
きっとこうに違いないなど、断言できるものじゃない
見たことあるんかい?って話
この世だけしか知らない私たち、
もしかしたら、現世だけが幸せなのではないのかもしれない。
昔の歌に
「おらは死んじまっただ~」って歌が流行った
「♪天国良いとこ、一度はおいで、
酒はうまいしねーちゃんは綺麗だ~♪」
なんて歌詞もある。
もしかしたら、あちらの世界の方が、
体験したことのない、毎日が平和で、
穏やかで、楽しい、安らかな毎日かもしれない。
死んだら終わり、不幸という固定概念を
死んでもラク、楽しい、幸せという固定概念に
書き換えていくとラクかも・・
こんなこと書いてても、
実際に自分が大切な人の死に直面したら、
簡単に思えるはずもない。
失意のどん底に落ちて
悲しみにどっぷりと沈んで、
立ち直れない日々が続くだろう・・
悲しいもんは悲しいし
喪失感は消えるはずもないし
寂しさは埋められないし
早く立ち直ろうなんてしなくていい
日常から、そういう考えも持てたら
少しは気が楽になるのかなって話
「死にたい」と思ってる人は
僕は死ぬ死ぬ詐欺でした を読んでみてね
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