うみねこ島 ベストセラー以外の本を読みたい人のために

うみねこ島 ベストセラー以外の本を読みたい人のために

ベストセラーやポピュラーな本もいいけど、ちょっとつまらない、物足りない、
という人もいるでしょう。

このブログは、中世ファンタジーでなくても、魅力あるヒーローは作れることが実感できる
「黒ねこサンゴロウ」シリーズをみなさんに紹介するために開いております。

動物たちのインターネット マーティン・ヴィケルスキ/プレシ南日子訳、佐藤克文解説

 

人工衛星と動物に装着するタグを使った、動物追跡システムICARUSを作った話。

動物の行動を研究していくうえでわかったことや、

動物の知恵に驚かされたという個別の話かと思ったらそうではなかった。

もっと大きなシステムを作る話がメインだった。

 

導入部は個別の具体的な話が多いのだが、

途中からシステムを開発する話になって、

ここを読むのは少し忍耐がいる。

 

主に哺乳類と鳥にタグを付け(昆虫に付けられるほどの小型化は進行中)、

位置だけでなく、生体情報なども収集すれば、

まだ謎が多い動物の世界を理解していくことができるのではないか。

 

構想から20年、さまざまな技術がそれを実現できる時代がやってきて、

(20年前にはほどんど不可能だったろう、いい時代になった)

2024年にひとまずICARUSは稼働を開始した。

本書が扱っているのはそこまでで、

実際にどういうことがわかっていくかは今後の話になる。

 

このシステムがもたらすものと、

「動物たちのインターネット」という言葉がちょっと結び付きにくいな。

 

著者の根底に流れているのは

「人間はもっと動物に学ぶべきだし、もっと共存していくべきだ」ということ。

 

「動物を追跡調査していると、人間が主体であり、

 動物は人間による家畜化の対象に過ぎないという思い上がりについて

 考えを改めさせられる物語に出会うことがある」(p.118)

 

「人類が自然を搾取して破壊する人新世のあとには

 人類が再び自分たちを自然の一部と見なす、

 異種共存の時代が訪れるだろう」(p.232)

 

このような主張が本の後半には強く打ち出されているが、

強く主張する必要があると考えるのは

著者が西洋人だからということもあるかもしれない。

人間と他の動物を切り離して考える、という傾向は

西洋文化にとくに強くみられるからな。

 

とはいえ、本書で主張する未来は

確かに来そうな気がする(来てほしい)。

追跡システムを利用すれば、もっといろんなことがわかりそうだ。

しかし、解説者が書いているように

このシステムは海の生物に適用できない(電波を使うので)。

これに画期的な方策が見つかるといいな。

 

最後の造本のこと。

同じ紙かどうかはわからないが、口絵と同じような、

密度が高くコーティングされた紙が本文にも使われている。

このために本が重くて読みづらい。

本書のような四六判は、(机に置くのではなく)

手に持って読むことも多いのだから、

もうちょっと軽い紙にしてほしい。

山尾悠子偏愛アンソロジー 構造と美文

 

独特の“山尾ワールド”がどのようにできたのか。

その一端を知ることができるアンソロジー。

 

そもそも多くのアンソロジーは

一人の作家、あるいは一つのテーマの元に集めたものになっている。

ところが本書は「私の好きなものを集めました」という感じ。

“山尾ワールド”愛好家がそこそこいるだろう、と踏んでの企画だよな。

 

「構造と美文」とは

「構造のある小説」と「極度に人工的な文章、スタイル」だそうで、

それぞれに該当する短編が前半後半に収録されている。

個人的には「構造」パートが好みだ。

ボルヘス(^^;)、バラード、ラヴクラフト、ブッツァーティ、マンディアルグ、金井美恵子、コルタサルだもんね。

 

作家やミュージシャンが「影響を受けたもの」「好きなもの」を挙げていれば

ファンはそれも読んだり聞いたりするだろう。

ところが、それらも気に入るとは限らない。

キース・エマーソンは、ラグタイムの人やジャズのオスカー・ピーターソン、

クラシックならバルトーク(だったっけ)などをフェイバリットとしていたが、

EL&Pが好きだからといって、必ずこれらを気に入るわけじゃないだろう。

 

一方本書は、“山尾ワールド”が好きな人なら

本書収録作の多くも気に入ると思う。

というより、そもそもこれらもすでに読んでいる、という人が多いのか。

そりゃ失礼。

男たちの知らない女 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの二つの生涯 Ⅰ/Ⅱ

ジュリー・フィリップス/北川依子訳

 

すさまじい人生に圧倒される。

女性としての生き方、ジェンダーを自分にも世界にも問い続けた希有な人の伝記。

 

20世紀後半に海外SFを読んでいたら、もちろんティプトリーJrに興味があるだろう。

でも、そうでなくても「こんな生涯があるんだ」と驚くことができる。

2分冊、計800ページを使わないと書ききれなかった。

 

その内容を簡潔に書こうとしたがムリだった。

この記事の最後に、上巻オビ裏に書かれている内容説明(それも長い)を使わせてもらい、

もうちょっと短くしたものを載せておくので

本書の内容(つまり彼女の人生)を知りたいときは、それを参照してね。

 

外から見た、才気あふれる女性、というのは

取材や関係者のインタビューでもある程度書ける。

しかし不安、不満、不安定を抱える内面をものすごく綿密に描き出せたのは、

彼女が書いた手紙と日記が大量にあったためだろう。

 

ティプトリーJrとして、多くの作家・編集者と長々と文通を続ける一方、

アリス(アリ)としての泣き言を母親や少ない知人や日記にぶつける。

しかし、どちらにもすべてを出し切らず、多様な人格を使い分けていた。

さらに男性ティプトリーJrだけでなく、女性ラクーナ・シェルドンとしても

多くの短編を執筆。

(タイプライター文化だったから実現できたとも言える)
 
正と負の両方のエネルギーを猛烈に持っていたとしか言えないな。
 
文通相手のひとり、アーシュラ・K・ル=グィンは

「ポートランドの中年の主婦ひとりで、ふたりの狂った天才にどう対処すればよいのでしょう?」

と書いている。

ふたりの天才とは、ティプトリーJrとフィリップ・K・ディックだ。

(ル=グィンはディックと同級生だったらしい)

たしかにこの2人と比べると、ル=グィン自身は普通の人かもしれない。

(単なる印象だし、作品はまた別の話だけど)

 

本書を一言で表現するなら、次の文ではないか。

「SFの世界にいた8年間は、わたしがほんとうの意味で真実の自分でいられたはじめての時間でした」

ル=グィンにあてた手紙の一節だが

互いにもっとも深く通じ合っていたル=グィンあてだからこそ書けた文でもあると思う。

 

ティプトリーJrの本は

『愛はさだめ、さだめは死』

『老いたる霊長類の星への賛歌』

『たったひとつの冴えたやりかた』

『輝くもの天より墜ち』

をおそらく読んだと思う。

 

当時は「おおっ!?」と思ったけど、のめり込むほどではなかった。

少し経ってから読んだ『輝くもの…』(訳書のある唯一の長編)が

一番気にいった記憶がある。

 

そういえば、プリンセスプリンセスの「19 Growing Up」の歌詞

「冴えたやりかた」はティプトリーJrからだ、と

作詞の富田京子さんがどこかに書いていた。

 

アリス(アリ)/ティプトリーJrの人生は破格だが、

本の筆者(ジュリー・フィリップス)もなかなかスゴイ。

膨大な手紙と資料を並べ引用する、という力仕事だけでなく、

そのときのアリス(アリ)の心理を深く読み取っている。

 

アリの死後創設された

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア賞(のちアザーワイズ賞)を

当然本書も受賞しているし、

同じ年(2006年)、『孤児の物語』も受賞している。

そのほか『溺れる少女』(積ん読中)、『大奥』(よしながふみ)など、

そしてもちろんル=グィンも(遡及受賞の『闇の左手』も含め)3回受賞している。

 

著者だけでなく、訳者(北川依子さん)にも注目したい。

訳者あとがきに書いているが、

ティプトリーJrとアリス・B・シェルドンでの文体の書き分けがみごとだ。

 

英語(原文)では文体の違いが(あまり)ないという。

でもたしかに日本語ではどうしてもおかしくなってしまう。

正体が判明する前と後での手紙の文体が違っているところ、

ここは読みどころの一つ。

 

ティプトリーJrが成立した理由として、

筆跡の出ないタイプライターで書いた、

ジェンダーの違いが出にくい英語だった、ということも挙げられるだろう。

 

それにしても、豊かで比類のない人生を歩んだ人だった。

ジェイムズ・ティプトリーJrまたはジェンダーのどちらかに興味がある人には

心を打つものがあると思う。

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(以下は、上巻オビ裏の紹介文をさらに要約したもの)

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアは1968年、鋭利で挑発的な作品群とともに突如SF界に現れた。

男性的な文体で技巧を駆使した傑作を立て続けに発表し、特異な天才作家として活躍するが、正体は謎に包まれていた。

 

1976年、彼がヴァージニアに住む61歳の女性であることが明らかになり、SF界に衝撃を与えた。

彼女、アリス・ブラッドリー・シェルドンは、幼少期から小説家の母に連れられてアフリカの冒険旅行に参加、画家、陸軍隊員、CIAエージェント、実験心理学者…と転身を遂げた、驚くべき経歴の持ち主だった。

 

78年突然凄絶な最期を遂げ、世界に新たな衝撃を与えた。

 

みずからのジェンダーとセクシュアリティをめぐる葛藤に苦しみながら、野心にあふれ、時代のはるか先を歩んだ女性、アリス・ブラッドリー・シェルドン/ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア。矛盾に満ちた豊かな二つの人生を詳らかにする伝記である。

彼女を見守る ジャン=バティスト・アンドレア/澤田直訳

 

重層的に多様なテーマを扱いながら、

芯の通った物語になっている。

 

「芸術論、愛と友情、家族、障がい、戦争、政治、震災、人種差別、ジェンダー」(訳者あとがきより)が

さりげなく(自然に)織り込まれている巧みさが光る。

 

でも、基本をなすのは、主人公である彫刻家と

侯爵家の娘の友情だろう。

 

愛情とは言えないから友情と言うしかないし

よく見る無批判な友情でもない。

この2人の関係はうらやましくなる。

 

読み始めてしばらくすると

「主人公が彫るピエタは娘を表現したんだろう」と思えてくるが、

最後に予想外のヒネリが加わる。

いやもう、いろいろ納得しましたね。

メモリー ルーシー・M・ボストン/立花美乃里、三保みずえ訳

 

グリーン・ノウ物語6巻を読んだら、

どういう人が書いたか、知りたくなった。

 

 

このシリーズにおける

反骨精神や、人の形容に含まれる辛辣さ、

自然や屋敷(自身が住んだマナーハウス)に対するこまやかな観察眼、

などが全開していた。

 

それと、マナーハウスには不思議な現象も起きていたようで、

それがグリーン・ノウを発想する原点だったんだろうと思われる。

小説を読むうえで、作家の実人生を知ることが必ずしも大事だとは思わないが、

グリーン・ノウを読んだら、本書を読むのもいいんじゃないかな。

九年目の魔法 ダイアナ・ウィン・ジョーンズ/浅羽英子訳

 

前半は、10代の少女の日常ときどき冒険、という感じ。

後半は、悪意と戦うファンタジーに急展開する。

“ファンタジー脳”を持っていないせいか、

その展開がうまく飲み込めずに終わってしまった。

 

オビに「英国ファンタジイの女王の不朽の名作」(“の”が3つ)とあるが、

味わいきれなかったな。

 

悪意の主がだれで、なにをしようとしているのか、

それから逃れる方策とはなんなのか、

原題の『Fire and Hemlock』の元になっている写真『火と毒草』の持つ意味。

このへんが、読み終わってもよくわからなかったのだが、

ファンタジーとしては「そういうもの」なのか。

 

各章冒頭に引用されている物語「タム・リン」と「詩人トーマス」が

どういうものかを知っていると、

本書の構造をつかみやすいのかな。

 

もう一度読み直してみると、

いろいろ気がつくことが多いのかもしれない。

そういう仕掛けの多い物語なんだということを実感した。

グリーン・ノウ物語1~6 ルーシー・M・ボストン/亀井俊介訳

 

全然知らなかったんだけど、著名なイギリスの児童文学のシリーズのようだ。

せっかくなので全部読んだ。

1軒の古い屋敷を巡る歴史が中心にあるけど、物語のバリエーションは豊か。

 

作家の、反骨精神や皮肉屋という面が結構出ているところが面白くて好きだ。

 

60歳を過ぎてから小説(このシリーズ)を書き始めたそうで、

自分の考えていることを忖度なく書いたり、

好きな自然の描写をいっぱいしているのもその年齢が一因か。

 

イギリスの児童文学というと

フィリパ・ピアス(『トムは真夜中の庭で』)、

アーサー・ランサム(『ツバメ号とアマゾン号』)、

C・S・ルイス(『ナルニア国ものがたり』)などを思い浮かべるが

ちょっとテイストが違う。

 

第1作を出版社は当初大人向けとして出そうとしたそうだ。

わからなくもない。

それを本人の希望で、挿し絵を付け(息子が描いた)、子ども向けに出版した。

本人がそう主張したのもわかる気がする。

とにかく純粋な「お子さま向け」とは少し違うところを楽しんでほしい。

 

グリーン・ノウの子どもたち

不思議なこと(違う時代の人と交流する)が起こるんだけど

すごく説明的にしていないところがいい。

 

グリーン・ノウの煙突

目が見えない女の子、アフリカ系の男の子、

100年以上前の時代ではとくに

無視され、見下され、差別される対象なのだが、

それを跳ね返すマインドが2人にはある。

作家の反骨精神全開。

 

グリーン・ノウの川

後半にオドロキの展開。

幻想小説?っていう方向に走っていく。

 

グリーン・ノウのお客さま

中国人の難民と、アフリカで捕らえられたゴリラ、という、

これまた抑圧された人と動物の物語。

ゴリラの気高さを強調するあまり、

チンパンジーをけちょんけちょんにけなすのはどうなのよ。

 

グリーン・ノウの魔女

原題はAn Enemy at Green Knowe。

ハラハラドキドキ感はシリーズ中いちばん。

 

グリーン・ノウの石

これまでの総集編という感じ。

5冊に出てくる子どもたちを登場させて、

これまで読んできた読者へのプレゼントかな。

皮肉屋さんのテイストはだいぶ控えめ。

ブックセラーズ・ダイアリー ショーン・バイセル/矢倉尚子訳

 

ちょっと皮肉屋の古書店店主が書いた日記、

なだけなのだが、なんだかつい読み進んじゃう。

どこまでが本当かわからない、

著者のグチだけで一冊読んでしまうという、不思議な本。

 

それにしてもおかしな客ばっかりだ。

この店の特徴なのか、イギリスおよび世界の古書店はみんなこんなものなのか、

それともすべての“店”はこんな客ばっかなのか。

 

時間をかけて何冊も読み、何も買わず、本も戻さず出ていく客。

(買わないのを“客”と言えるのか)

こんなのは序の口だ。

 

書名を聞き出して、おそらくAmazonで買おうとする電話の主を

うまくあしらう著者のエピソードは笑える。

 

古書店の場合、買い取りもある意味“客”だ。

こっちもすごい。

まあ、自分が思うほど蔵書に金銭的な価値はないってことだよね。

 

それにしても店員ニッキーの、傍若無人の振る舞いが強烈だ。

それなのに、店主はニッキーを雇い続けるし、

夜遅くまで一緒にビールを飲んだりする。

そう考えると、ニッキーに対する毒舌は「盛ってるよね?」と思えてくる。

グリーン・ノウの子どもたち ルーシー・M・ボストン/亀井俊介訳

 

このシリーズ、知らなかった。

三辺律子(ジョーン・エイキンの翻訳者)さんの新聞コラムで知った。

 

イギリスの男の子が、ある事情で郊外にある(ひい)おばあさんの家で過ごすことになる。

そうなると思い出すのはフィリパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』(1958年)だよね。

本書(原書)は1954年だから、執筆年も近い。

 

すごく似ているところもある。

ネタバレになるので詳しく書かないけど、

本書の方が、やや“幻想味”がある。

そのため、少しわかりにくいところもあるけど、

そこが本書の味でもある。

 

もちろん『トム』は名作だと思うけど

本書もそれに匹敵するんじゃないかな。

こっちは6冊のシリーズなので、ほかのも読んでみる。

『トム』の雰囲気が好きなら、本書も気に入るかも。

ふつうのオオカミたち セス・キャントナー/池澤綾羽訳

 

「アラスカで生きる」ことが書かれている。

書名や装丁からして、野生動物のことが多く書かれているのかと期待したのだが

そうではなく、人間視点。

(オオカミ視点のものが幕間的に挟まるが)

小説の形をしたノンフィクションとして受け止めるのが

いいんじゃないかと思う。

 

舞台はエスキモーが暮らすアラスカのへんぴなところ。

1960~1980年代。

主人公は父親と一緒にそこへやってきた白人で、

白人はエスキモーたちからは差別されている。

(世界中の少数民族に対する差別の逆バージョン)

 

犬ぞりだった移動手段がスノーモービルに替わったり、

国から巨額の補助金が出たり、

エスキモーたちの環境がどんどんと変わっていく姿が

すごくリアルに描かれている。

北海道やアマゾンなどとちょっと共通するところと、

アラスカ/アメリカ独自のところがあって、

なかなか興味深い。

 

全体にいろんなものが“対立するもの”として描かれているところが

西洋的というか、アメリカ的だな、と感じる。

野生動物と人間

僻地と都会

伝統的な暮らしと現代生活

少数民族と白人

など。

 

とくに「野生動物と人間」の扱いは

なんか「米国人らしいな」という気がした。

いや、あまり一般化してもいけないか。