あれは、俺にとって、「型通り整えたカタチばかり美しい剣」と同じ
つまり、伝七郎の剣
型としては確かに整っているかもしれない
その型を「正」とする人から見たら丁寧で美しいのかもしれない
でも、それは楽しくない
承認欲求が得られるときは嬉しいけど、それも結局のところ欠乏というパラダイムでのハナシ
「上手にできた」
「正しくできた」
「周りに褒められた」
そんな事に焦点を置いたもの
そしてそれは、社会のモノサシ
つまり、稽古的なもので、窮屈で不自由
相手が気にいるような仮面をつけ、遠慮と謙遜と距離感という武器を駆使している
真剣勝負ではなく手を抜いた稽古だから、適当にできる
そして、傷つかなくて済む
痛い思いをしないでいい
安心・安全なコミュニケーション
そして、そのようなコミュニケーションを通した関係性は、営業先だけでのハナシではない
社内においても同じことが言える
社内の人の中で一体どれだけの人と「真剣勝負」をしているだろう
少なくとも現時点では、誰とも真剣勝負はしてない
社内の全員と、適当に表面だけ整えた「お稽古」としてのコミュニケーションしかとっていない
お互い傷つきたくないから
傷つくのが怖いから、「本音」という真剣を使わず、「建前」という木剣で関わりあう関係性
稽古として「上手にできた」「楽しくできた」というのはあれど、そこには本質的な喜びはなく、ましては「創造」とは程遠い
表面的な業務内容が変わろうが、いつまでも「稽古」としての「正しさ」を重視した意識によるものだから、何も創造できない
そして、誰しもがその事に慣れてしまっている
「そんなものさ」
「それはそうと決まっている」
そんな意識の人々が集まるのだから、そりゃ何も創造されなくて当然だし、少なくとも、真剣を使うと傷つく可能性があるのであれば、痛みを伴わない木剣でカタチとしての稽古に精を出してたいと思う
稽古をしていれば一応は、さまになるし、「仕事してる感」は感じられるから、それで最低限は満足できてしまう
でも俺は、型通りの稽古につまらなさを感じる
だから、営業先での自分の提案に不満を感じる
薄っぺらい口先だけの提案に嫌気がさしてきた
言われた通りの「お稽古」としての剣を振る事にはもう興味がない
社会から与えられたモノサシ通りにできたかできないかに一喜一憂するのは、もう十分やってきた
そろそろ、形を整え周りから評価されるための剣ではなく、自分の世界を深めるための剣に挑戦したい
そしてそれは「建前」という名の木剣ではなく、「本音」という名の真剣でやる必要がある
でも、それは「真剣」ではなあるけれど、「勝負」ではない
勝ち負けでなく、ただ、剣を振ることを楽しんでいるだけ
剣を振る喜びを分かち合うような感じ
意見の対立は必要ない
どちらの剣が正しいかなんて関係ない
大事なのは、楽しいかどうが
周りに認められるために剣を振るのではなく、自分のために剣を振るう
「本音」という名の「真剣」を使って
「勝負」ではなく「表現」としての剣を振りたい
武蔵のように
小次郎のように
マッキーのように