地球を信頼できるか | uminami-snusのブログ

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ある日自分の中でスッと納得できたことを鮮度のある内に残したい。個人的な備忘録であり、アタマの中を整理するためのもの。

ひとりひとりがやることに意味がある
塵も積もれば山となる

環境問題を解決しようとする人々の考え方にこんなものがあると思う

だから水を節約しましょう
使わない電気はこまめに消しましょう
リサイクルをしゴミはなるべく減らしましょう


資源は限りあるから
エネルギーは有限だから
生態系を乱して環境を破壊しているのは生き物の中で人類だけです
発展・進歩・成長を優先してきた結果、地球は過去に無いほど汚染されています
このままでは地球はもちません

ひとりひとりのチカラは小さいかも知れないけれど、みんなでやれば地球を救えるんです
私は関係ないなんて思わず、自分も地球の一員であるという責任を持って行動しましょう

皆さんの意識が変わり草の根的な運動が広がることが最も大切なんです

おそらく、こんな感じの立場の方々がほとんどなのではないだろうか

でも、俺はこう思う

地球って俺らに救われたいの?
そんなにヤワな存在じゃなくない?

そういう意味では環境活動なんかも
やる人はやる
やらない人はやらないでいいと思う
それらのことに興味の無い人を批判したり、無理に押し付ける必要はないと思う
少なくとも、やらなければいけないという義務感からくる行動はどうなんだと思う
ましてや、環境活動をしていることで家族間の問題や金銭的な問題を抱えているにも関わらず、あるいは本当は他のことがやりたいのに環境活動をしていることによってそれができないというような、何かの自己犠牲の上で成り立つ活動には疑問を抱かざるを得ない

環境活動家の人は自分たちの仲間を増やそうと必死だ
ひとりでも多くの人に自分たちの考えを理解してもらい地球が危機に瀕していることを知ってもらうことが問題解決になると信じている
確かに国や政治家や国際的な機関には何も期待できないというのは事実だろう
そういう意味では執筆や講演やデモを通して現状を変えようとするという選択を選ぶのは分からなくはない

それに加えて、もちろん、環境問題解決に取り組んでいる方々は素晴らしいと思うし、活動そのものを否定するつもりはない
精力的に活動しに、実際に成果をあげているものも少なくはないのだと思う

でも、もっと地球を信じてもいいんじゃない?
なんなら、地球がなくなったとしても、それすら信じるくらいの気持ちでいいと思う
だって地球って人類の想像できないくらい偉大な存在でしょ
その地球の選択よりも人の力でなんとかしなければという考え方は傲慢だとすら思う
好きでやってる人はまだいい
でも、義務感やなにかの我慢のうえに成り立つ行いはやめたほうがその人のためだと思う
ましてや、何かを否定して非難するような内容のものはいかがだろうか
そのような人たちの発言や行動を見ると、政府だろうと大企業だろうと、何かしら悪となる対象がいてそれらを倒すという正義感すら感じているように思える
そんなネガティヴな感情を源にしてまでする活動ってなんなんだ?
やってて気持ちいのだろうか?
自己満足にすら思える

そんなことを言うと、子供達の未来はどうなるんですか?とか言う人がいると思う
アナタは無責任すぎる!美しい地球を子孫に残すべきでしょう!と

確かに子供達には素敵な未来を用意してあげたいと思う
僕も地球が汚れればいいとは全く思わない
綺麗になって欲しいし、美しい自然がなくなっていくことには抵抗がある

でも、結果的に望まない環境になったのであればそれすら地球の選択なのだと思う
汚染されることすら地球が望んでいる
百歩譲って地球が望んでないとしても、いざとなったら地球自身でどうにかすると思う
それは環境を浄化するかもしれないし、人類を滅ぼすかもしれないし、なんなら地球ごと消滅させてもいい
でも、地球は未だにその選択肢をとらない
きっとやる気になればいつでもできるのに
ならば、まだ大丈夫ということ
地球からすれば、まだまだ人類を好き勝手野放しにしておいてもなんら問題はないと判断しているんじゃないだろうか

だって人なんて生まれてからたかだか数万年でしょ?
地球はその何倍、何十億年と生きてるんだよ?
歴史の長さからみても人類より地球を信頼する方が妥当だと思う
そもそも人類を生んだのだって地球でしょ
予想外に手が追えなくなったのだとしても、地球がなかったら人類なんて生きられない訳だし、どれだけ人類が進歩しようが圧倒的に人類より地球の方が全てにおいて優れているハズ

環境活動家の人もよく言うよね
「わずか数十年で人類は地球を元に戻せないほど汚染した」みたいなこと
地球からしたら、そんなの屁の河童なんじゃないの?
人類ごときに汚されて困るほど落ちぶれてないでしょ
ましてや汚染した張本である人類に助けてもらおうなんて、考えるか?
地球を汚した償いをしなければなんて、地球からしたら余計なお世話なんじゃないの?

こんなことを言うと批判する人がいるのは百も承知で言う
というか、納得できないという人の方が圧倒的かもしれない
ましてや、環境活動家の方々からすれば殺意すら覚える考え方だと思う
でも、それも理解した上であえて言いたい

もっと地球を信頼して大丈夫だと思う
浄化が本当に必要になったら地球は自分で何とかする
もっと言えば、浄化せずに汚染の末に滅びるのであれば、そんな地球の選択の方を信じる
人類を滅ぼすならそんな地球を信じる
地球が滅んだとしても、そんな地球の選択を信じる
美しい地球を残したいなんてのは、人間のエゴだ

環境活動家の中には「もう取り返しがつかないほど環境は劣悪である」という人もいるけど、地球舐めてませんか?
人間ごときの科学的根拠に基づいた予測なんて、軽く凌駕するだけのパワーが地球にはあるよ
なんなら、地球に限らず、宇宙的視点で見たら人間なんてミジンコ以下でしょ
ビッグバンなめんなよって感じ
宇宙からしたら地球があろうがなかろうが、大した問題ではないだろうね

だいぶ長くなってしまったのでまとめると、
要するに、
環境活動家を否定する気はない
地球を何とかしようとして真剣に取り組んでいる方々はすごいと思う
僕には絶対マネできない

でも、もうちょっと地球を信じたら?って思ってしまう
信じるっていうのは、必ずまた環境が改善されるだけの力が地球にはあるというものそうだけど
汚染の末に地球が滅びるなら、その選択すら信じるということ
地球からしたら人類なんてどうってことない存在で、必要であればいつでも絶滅させられるんじゃないだろうか
でも、汚染されるのを承知で生かしてくれているんじゃないか
環境「問題」という視点で見たら当然「問題」に目がいく
だから、なんとかしなければと思う
その過程で敵となる対象や悪となる存在がでてくる

でも、視点を変えてみてもいいのではないだろうか
もちろん、環境なんていくらでも汚せばいいというつもりはさらさらない
でも、もっと地球を信頼するという視点でみるものありなのではないか
政府がどうだとか大企業がどうだとか資本主義だ経済合理主義がなんだとか言って騒ぐより、もっと肩の力を抜いて見てもいいのではないだろうか
環境破壊のニュースや近所の人の意識の低さに対して文句を言って、悪を許さないという復讐にも似た憎悪の気持ちを持って社会システムを批判するよりも、地球を信頼してもっと楽しく生きたらいいのではないだろうか
少なくとも義務感や自己犠牲によってそのような活動をするのはやめませんか

きっと地球はそんな愚かな人類すら許容して愛してくれているはず
そんな母なる地球のもとでリラックスして、楽しいことに目を向けて日々を過ごしたほうが地球も喜ぶのではなかろうか
地球を信頼するという姿勢から自分のしたいことをしたほうがよっぽど素敵だと思う
かけがえのない一度きりの自分の人生を、自己犠牲ありきの批判的な感情を伴う環境活動に取り組むことに使うよりも、地球を信頼するという態度の中で本当にやりたいことをして楽しく生きたらいいと思う

そして、これは環境活動だけに言えることではない
戦争や経済、政治や食料問題なんかもそう

宇宙の流れを信頼していいのではないだろうか

義務・犠牲・我慢ではなく、
love・thanks・enjoyという価値観でやりたいことをやるほうが素敵な毎日になると思う

なんか言葉使いがテラさんっぽくなってるな笑