「景色」の一部である「私」 | uminami-snusのブログ

uminami-snusのブログ

ある日自分の中でスッと納得できたことを鮮度のある内に残したい。個人的な備忘録であり、アタマの中を整理するためのもの。

普段当たり前のように眺めている「景色」

街の景色
車の車窓からの景色
家庭の景色

俺が見ている何てことのない日常の景色
朝起きてから寝るまでに見る様々な景色

私たちは普段
「景色」と「私」は分離している
「私」が「景色」を見ている
当たり前のようにそう認識している
無意識に景色と私はつながっていない別のものとして捉えている
皮膚の内側(私)と外側(景色)と思い込んで疑うこともしない

でも、「私」すら「景色」の一部と考えてみる
いや、考えてみるというか、そうイメージしてみる
「私」が「景色」を見ているのではなく、
「景色」を見ている「私」すら見ている「景色」の一部とイメージする

あるいは、こうもいえる

目の前で起こる「出来事」を見ている「私」ではなく、
その「私」すら「出来事」の一部としてイメージしてみる

それが、阿部さんの言う「事はただ起きている」ということ
「私」が「起こしている」と思っているが、本当は違うということと同じ

あくまでイメージの練習に過ぎないけれど、うまくイメージできると面白い感覚になる
もちろん、「空」とかそんな次元の感覚にはほど遠いけれど、イメージする価値はある

「景色」を見ている「私」すら景色の一部にすぎない
事はただ起きていて、「私」はその「事」の一部でしかない

周りの人から見たら俺は「景色」
俺から見たら周りの人が「景色」

これが当たり前の感覚

でも、こう考えてイメージしてみる

俺から見ても俺は「景色」