自分の欠点を未だに受け入れることができないでいる。
だから、普通に話せないことを苦しいと思ってしまうのかもしれない。
なぜ言葉が出にくいのか自分でもよくわからない。
声を出そうとしても声が出ないのと、言いたいことが言えないのとでは全く違う。
場面緘黙のことを理解しようとしてくれるのは嬉しいけれど、私は普通に接してくれるのが一番良い。
幼少期からずっと、声を出すことが怖かった。
今でも声を出す時には、緊張、不安、恐怖を感じることがある。
話したくても話せないのはとても苦しく、普通に話せる人が羨ましくて仕方がない。
私には、普通に話している人たちみんなが楽しそうに見える。
どんなに人と関わりたい気持ち、話したい気持ちがあっても、人付き合いがうまくできないし、深く関わることが難しい。
ふと、考えることがある。
学生時代に「話せなくても大丈夫だよ」と言ってくれる人がいたら、少しは違っていたのだろうか。
普通に話すことにずっとこだわり続けている気がする。
でも、こんな私でも受け入れてくれる人たちがいて、優しい人がいることを知った。
言葉には人を癒す力がある。
しかし一歩間違えれば、人を傷付ける鋭利な刃物と化す。
人の心を抉り、一生消えない深い傷を負わせてしまうことがあるのだ。
だから私は、言葉選びにはいつも慎重になる。
言葉で人を傷付けないために。
今、この言葉を言わないで良かった。
もしかしたら、傷付けてしまうところだったかもしれない。
言葉を発する前に、いつも考えるのだ。
それが相手を傷付けてしまわないかどうかを。