由比ヶ浜から相模湾に注ぐ稲瀬川と美奈能瀬川です。
下の写真だと分かりづらいですが、奥が稲瀬川、手前が美奈能瀬川。
すごく近くを流れていますが、完全に別の川で、こちらが稲瀬川です。
川自体は古くからあって、万葉集にも詠まれています。
「まかなしみ さ寝に我は行く 鎌倉の 美奈能瀬川に 汐満なむか」(心からいとしく思って、私は共寝に出かける。鎌倉の美奈の瀬川は、潮が満ちているだろうか。(出典:奈良県立万葉文化館万葉百科))
はて?
この歌では美奈能瀬川なんですよね。
実は134号線にかかる橋にも美奈能瀬橋と書いてある。
でもこちらは稲瀬川。
なんだかややこしい。
稲瀬川は134号線をくぐり、長谷の方に向かいます。
上の写真のすぐ続き。
頼朝の時代、稲瀬川の東側が鎌倉だったようです。
そのため腰入りする北条政子は幕府の許可が降りるまで稲瀬川の西側で滞在したらしいです。
この辺りも歩いていたのでしょうか。
江ノ電長谷駅付近。左上に少し見えている屋根が長谷駅です。
ここの橋には稲瀬川と書いてありますね。
この後川は大仏の方へ。
一方の美奈能瀬川。
やはり134号線の下をくぐります。
が・・・。
この川は暗渠になっています。
地上に出ているのは河口付近のみ。
暗渠を辿ると江ノ電の踏切の下をくぐり、
吉屋信子記念館の前を通って、佐助の方に行くようです。
吉田秋生さんの「海街ダイアリー」の最後に、番外編として「通り雨のあとに」という話があります。
そこに登場するのが河鹿川と詩歌川という2つの川。
すぐ近くを流れていて、地元の人でさえ詩歌川は河鹿川の支流だと思っているけど、実は源流は全く別で、決して交わることはなくやがて別々の方向に流れていく。
人同士も同じ。
全く別の人生を歩んできた者同士がごく近くで一緒に過ごすことがある。
でもその後また全く違う道を歩むことになることもある。
稲瀬川と美奈能瀬川も同じ。
もっともこちらの川は海で合流していますけどね。